~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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ボク、議論はキライです。

多分わたしは、人からは議論好きの人間のように思われていると思う。
でも、仕事や仲間たちとの間で
長い議論になるのは大嫌いです。

長時間の議論、
それは、多くの場合、
「考えてる」とは言えない状態になってるような気がして。

真剣な議論をするなら
レジュメくらい用意して
自分の考え整理してきて欲しいと思うことが多い。
他人の意見に延々、ああだ、こうだ言って
じゃ自分はどうしたいのか言わない話し方に
どうもいつもイライラしてしまう。

正確には、言葉の議論はあまり好きでないので
文字で整理して欲しいってとこかな。

イヤ違う。
ボク頭の回転が遅いので
言葉の早いやりとりにはついていけません。
が、正しい。

頭の回転がのろいおかげなのか、
わたしは「悩み」ということをほとんど知らない。

生まれてきたついでに生きているような人間だからなのか、
過去に、真剣に悩んだという記憶も
恥ずかしながらない!

だいたい「悩む」というのは
そもそも、「どうすることも出来ない」から「悩む」ので
もし、ほんとに「どうすることも出来ない」のなら
議論してても無駄!というのがわたしのスタンス。

よく「右」に行くべきか「左」に行くべきか悩んでる
なんて言って職場で延々議論しているのに出くわす。
その多くは、相手に確認せずに
自分はこう推測するということを競った話ばかり。

長時間、右か左か意見が割れて議論を要するなら、
棒を倒してどっちかに決めて
やってみてから、問題があったら修正したほうが早い。
(ごく稀に修正のきかない問題もある、ごく稀に!)

そんなに話してるなら、
その間に、オレが「右」のほうを偵察に行ってきてやる。
相手がどう出るか試しに見てきてやる。
と、思う。

本来、悩みのほんとうの本質は、
「どうにもならないこと」だと思ってます。

どうにもならないことの99%は
自分で考えて解決してはいない(解決できないから悩む)。

だから悩みのほとんどは
「時間」が解決しているのだと思う。

時間が解決しているから
過去の悩みは覚えていないのだと思う。

自分に真剣に向き合っていないからなのか
性格が不真面目なのだからかもしれないが、
いつもそう思っています。

真面目な方には理解できないでしょうが
わたしは「ツライ」、「苦しい」と感じることはあっても
真剣に「悩む」ということは知りません。
決して「陽気」な性格でもないのにね。

でも、今考え直してみたら
議論をふっかけるのは、だ~い好きでした。