~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

魂まで酔わせる酒

日ごろ酒を飲む機会のない私ですが、
この時期だけは、忘年会やら新年会やら外で友人と飲む機会が多い。

うれしいのは、昔の仕事付き合いの飲み会はほとんど無くなり、
もっぱら様々な分野の友人とだけ飲めるようになったことです。
仕事のお付き合いでの飲み会だと、どうしてもビールか焼酎の水(お湯)割りばかり。
この呑み方だと、体に堪えることはあっても、なかなか芯から酔えるということはない。
悪い二日酔いばかりしてしまいそうな感じがする。
加えて無理やりカラオケなんぞ付き合わせられたおりには、歌わずに済ませるために必至になってニコニコ笑顔をとりつくろってしまう分、人一倍、無理な飲み方になり後もツライ!

それが、親しい友人と、
理想は二人だけで飲むような機会があると、話もはずみ、
気づかないうちに一升空けてしまっていることがある。
若い頃は、日本酒一升くらい空けられなければ男じゃないみたいなのりがあって、
無理やり飲んで、もう二度と酒なんか飲むかと決意するほどつらい翌日をむかえることが多かった。
今はもうそんな飲み方はしない。

でも、ビール、焼酎、ウィスキーなどを飲むときと、日本酒を飲むときは
明らかに酔い方が違うのを感じる。
それを、最近の友人との酒の飲み方で再度、確信がもてた。

ビール、焼酎、ウィスキーなどを飲んでいる限り、どんなに飲んでも
その酔い心地は体が酔うばかりで、心の芯にまで届かないのである。
これは、日本酒の作用によるものか、日本酒を飲める友人の共通の性格によるものなのかは、まだわからないが、日本酒をゆっくり飲んで友人と語りつくしたときのみに味わえる心地よい充足感というのが間違いなくある。

なぜだろう?
毎晩、赤提灯をくぐらなければいられないような人はのぞくが、
日本酒を飲みたいという人に出会うと、もうそれだけで、
面識はなくても大筋の人物評はOKという気分になってしまう。

私の勝手な推測ですが、
日本酒を飲む人と他の酒だけで満足できる人との間には、
氣の流れのスムーズさの違いのようなものを感じる。

現代社会で全身隈なくスムーズに氣が流れている人など、
よほど気功のトレーニングをつんだひとか、
育ちの良いひとでもない限り滅多にいるものではないと思うのですが、
全身スムーズとはいわずとも、日本酒派の人の方が、
体と心の氣の流れがスムーズに見えるような気がする。

その分、僅かな差かもしれないが、悪酔いをしない自信につながっているようにも思える。

残念ながら、一般的な日本酒派の「のん兵衛」は、
タチの悪い大酒飲みのイメージが強いのだけど、
私のまわりを見ると、そうは感じない。
ん?
どうだか、
やっぱり怪しいか?
訂正!

でも、昔、暖房のない一軒家で日本酒を飲んで暖まっていた頃を振り返ると、
必ずそこにドラマが生まれていたのを感じる。

かき氷の暖簾を引っ剥がして持ち帰ったり、
電車のドア上の路線図を盗んできたり、
そいいったイタズラではなくて!

へんなヤツが家に住みついてしまったり、
自殺騒ぎの人生相談劇場になったり、
必ず太刀打ちできないトラブルの舞台があったような気がする。

それが日本酒以外の酒を飲んでいると、
不思議と常識の枠をはみ出さないようにコントロールされる。
日本酒を飲むと、常識の枠を気にせず、限りなく人間の深い渕まで
立ち入ることもできる。
どん底まで落ちることもできる。
そのまま、這い上がれなくなることもある。

そんな世界に、ビール、焼酎、ウィスキーの世界は絶対入らない。

日本酒の酔いだけが、魂まで酔わせるなにかがあるのだ。

それでいながら、
不思議と氣の流れの良い相手と飲んでいれば
1本あけても悪酔いもしない。

「魂の会話」
そんな場を日本酒はもたらしてくれる。

この季節の約1ヶ月、
不本意ながら、いろんな場で酒を飲まなければならない。
飲むぞー!!!