~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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閏年、2月生まれの乱 ふたたび

昨年2月のmixiの日記で、「2月生まれの乱」として、
どうして1年のうちで2月だけが、少ない日数になって調整役を一身に負わされているのか?
せっかっく、わざわざ旧暦を排して、より合理的な太陽暦の導入をしたかに見えながら
なんの根拠があって2月ばかりがこんなに極端に少ないのか?

31日ある月を少しばかり削って、2月にまわすことがどうしてできないのか?

といったことへの疑問を書きました。


本日2月29日。
やっぱり、得したんだか損したんだか
仕事が忙しくなるだけで、どうも納得できない。


今日の仕事
わかっていたはずなのに、いつ終わるやら・・・

陰謀だ!





昨年のブログ(mixi)のやりとりのなかで
暦の制定には以下の歴史的経過があることを知りました。


*** 以下引用 ***

古代ローマ暦の名残

 国立天文台に聞きました。現在の暦の基となったのは古代ローマの暦です。紀元前8世紀ごろは、冬の間、農耕など人間の活動があまりなかったために月の名前がなく、3月から始まる10か月しか名前がありませんでした。

 その後、冬の月にも名前が付きましたが、1年の始まりは3月のままでした。紀元前46年、ローマ皇帝ジュリアス・シーザーが1年(平年)を365日とする暦を採用しました。公式に1月が年の初めになりましたが、3月から始まっていたころの慣習が残り、2月は平年が29日、うるう年が30日という調整月になりました。

 紀元前27年に就任した皇帝アウグストゥスは、30日だった8月を自分の名になぞらえて改名(英語名August)し、1日増やして31日にしました。その代わりに2月を1日減らし、平年は28日になったのです。

(2006年02月15日 読売新聞より)



つまり、なんら合理的な根拠はないってことです。

なんで世界中がこんな不合理に付き合わなければならないのでしょうか?

即刻といわずとも、
もっと平均化した月配分にする運動を広めようではありませんか。

といっても
はたしてどれだけ賛同してくれる人がいるか?

歴史をみると暦の統一は、
国の管理のうえで極めて重要な役割をもっていたといわれます。

江戸時代など日本の天皇の地位が落ちても、その権威を保てたのは
暦の決定権と官位の授与権を持っていたからだとも言われてます。

それだけに、
今こそ、簡単なことではありませんが
広範な論議を起こすべきではないかと思うのです。

こうした変更には現実的には、細木数子大先生あたりが一番怖い存在になるかもしれないけど。

以前、(旧)月夜野町では独自に旧暦を公用暦として採用してはどうかとの
問題提起をしましたが、
通貨の問題と同じように、国際的に互換性のあるものは必然であることには違いありませんが、
それぞれの地域独自の価値観の別なモノサシは、個々にあっても良いのではないかとも思います。


もう一度、
「2月生まれの乱」
賛同者、募集いたします。