~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

今の自分に満足できないとき

最近、ある友人が、慣れない仕事の多忙な毎日に追われて、いろいろ悩んでいる。

でも私は君を助けることはできない。
君自身が自分で解決しなければならない問題だから。

でも私の場合は、いつも似たような場面でこんなふうに考えている。

同じように忙しい日々に追われる毎日でも、
その日一日の自分に満足できるかどうかは私の場合、
その日が、創造的であるかどうかにかかっているのではないかと思っています。

単純なルーチンワークの毎日でも、それは確かに職場を支えている。
地域を支えていることに違いはない。

でも、そうれが必ずしも、食っていけるからといって
生産的であるとか
創造的であるとは限らない。

生産的、創造的な労働は、
それが単純な家事労働のようなルーチンワークであっても活き活きしている。

もっとも生産的な労働は子どもをつくることである、と前に書いたけど、
それ以外のことでも、創造することこそ
生命再生産を軸にした最も人間の喜びに溢れた世界であると思う。

最近、創造的ってなんだ
との問いを、あるブログ仲間が書いていた。
単なる「模倣」、
ただの「批判」、
それらの場合でもほんの紙一重の差で、単なるコピーと創造に分かれる。

雑務に追われた毎日は、ただそれだけで疲れ果ててしまう。
でも、それを越える現状改革をどこかで誰かがしない限り、
誰もがそれだけの疲れた毎日になってしまう。

さらにはまわりの人間までも、その疲れた世界に巻き込んでしまう。

肩書きにかかわりなく、そこにいる自分が
常にその問題の当事者であることを忘れないでほしい。

多くの人は、時間があれば
という。
また多くの人は
お金さえあれば、
という。

でも、今与えられた場所で
今、ある条件で可能な何かをできない人は
たとえお金と時間が与えられても、
少なくとも創造的な喜びは決して味わえない。
(参照:地獄は一定すみかぞかし・私見
http://blogs.yahoo.co.jp/hosinopp/21305928.html


ということも以前どこかに書いて知っていると思うけど、
そこに、この「条件が悪い場所」こそ
最大の創造的な活動の条件であることがあらためてみることができると思う。
そこにこそ、そのひと固有の創造の環境、大前提がある。

なんて言うと、かみつけさんの前では弱音が吐けなくなると
また君は言うかもしれない。

でも共感する
という行為のなかにも
生命の再生産のための大事な創造的部分を含んでいる。

今日一日の
目の前の些細な一歩。

そこに創造的活動を忘れない毎日を過ごしたい。

今主流の「賃労働」中心の労働観ではなく考えることができれば、
人が生きていくために
食っていくためにしなければならない労働って、
もっとずっと創造的なものであったことに必ず気づくものだと思う。
しかも、たくさんの非営利の労働のなかに生活が支えられていることに必ず気づくはずだ。

いっぱいお金を稼ぐことが創造的だろうか?
芸術作品を造れなければ創造的ではないんだろうか?
もっともっといろんな問いかけが必要だと思う。


創造的であることの決定的条件である
子どもを産み育てることから切り離された立場にある私たち(私と君)にとっては、
育児、子育てをかかえている人たちが無条件に持っている、
10年、20年というタイムスパンでものごとをとらえることを、
意識的に取り入れることは、とても大切だと思っています。

些細なことでいい。
今できることができないからといってあきらめるのではなく、
すぐに答えが出ることよりも
5年、10年、
あるいは100年200年かかってできるようなことを考えるほうが
確実に真理に近づくことができ
より創造的であることを確信できることは間違いない。

それは自らの欠点を補うためだけでなく
「創造的である」ことにとって、より長期的にものを考えるということが
一際大事で本質的であるからです。

繰り返すけど、私は今の君を助けることはできない。

でも、私といっしょにずっとこんな会話をしてくれれば
きっと君自身が自分で必ず答えをみつけてくれるものと思う。

だから、君が話を聞いて欲しいときには
僕は喜んで朝まででもつきあおう。




私にとってこのmixiやブログの日記も、大事なその創造活動の一部分。
もっと休まず書かなくちゃ