~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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不快感情の消去マシーン

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殺す相手は誰でも良かった。

こんな動機の殺傷事件が相次いでいる。

先日、同業者が被害にあったことも衝撃であった。
恐ろしいのは、これらが極めて特殊な事件ではなく、同じような心情の若者たちが一定の層となってまわりに存在している時代であるということだ。

問題は単純ではなく、緊急の予防策は必要でも、問題の根に目をむけて
「安心」という言葉がどのような社会によって保障されるのか真剣に考えなければならない。

そんな思いでいるときに、あるお客さんから最近紹介してもらった本を思い出した。

脇 明子 『物語が生きる力を育てる』 岩波書店 

この本自体とても素晴らしい本なので、一度じっくり書いてみたいと思っていますが、今回はそのなかで物語を通じて不快な気持ちとつきあうことの意義について興味深いことが書かれている部分を紹介します。

著者は、大学生を見ていて「いつもいい子」になるように育てられてきた弊害らしきものに気づくことがあるという。

そのひとつのタイプは、何につけても非常に臆病で、まわりの顔色を見てからでないと、心を動かすことさえできない、といった若者たちです。

もうひとつのタイプは、はきはきと明るくて申し分のない優等生、かと思っていたら、刺激の強いホラーでストレスを解消していたり、ネットに悪意のある書き込みをしていたり、といった人たちです。

どうやら、「いつもいい子」であることを求めすぎると、きまじめな子は心を縮こまらせてしまい、要領のいい子は大人相手にだけ「いい子仮面」をかぶる傾向にがあるらしいのです。

自分自身の感情処理の仕方を知らない。
いまの子どもたちには、とても難しいことになってしまったようです。

「それは、ひとつの共同体のなかにいろんな年齢の子どもがいて、見守ってくれる大人もいる、といった環境が失われてしまったからでもありますが、それだけではありません。
何よりの問題は、いまの子どもたちのほとんどが、不快感情の消去マシーンを持っている、ということです。」

学生たちに「不快感情に襲われたとき、あなたたちはどうするか」とたずねてみると、学生たちは異口同音に「テレビをつける」「好きなミュージシャンの音楽を聴く」と答える。
これは私も大差はない。

しかし著者が強調するのは、子どものうちからそんなやり方に頼ってもいいのだろうか、ということです。

「私たちが不快感情に襲われるとき、そこには原因があります。それは忘れてしまえばすむことの場合もあれば、逃げたくてもがまんして真剣に対処しないと、ますます大きな問題になってくることもあります。「情動の知性」を身につけた大人たちなら、それを見きわめえt適切に対処し、「忘れてしまう」のが得策と判断できたときにだけ、必要なら消去マシーンに頼ることも可能です。しかし、子どものうちから消去マシーンに囲まれていたら、自分の不快感情を認識して原因を見きわめることもできませんし、ましてや、対処すべきことに勇気を出して対処するすべなど学べるはずがありません。

そんなふうに育った子どもが、大きな不快感情に襲われたとき、それは「不可解で手に負えない経験、なんとしても避けるべき経験、」「自分を混乱させる不快感のかたまり」でしかないのだ(という)。


これに対して、すぐれた童話などの物語には、この不快な感情といかにうまくつきあうかといったことを体験させる優れた仕組みがある。

この本のなかでそうした事例として紹介しているのは、
ベバリー=クリアリー『ゆうかんな女の子ラモーナ』学研
ですが、残念ながらこの本は今、手に入りません。

不快なものが織りまぜられた物語は量販市場で生き残れない。

このことを著者は、名作のダイジェスト版の弊害としてさらに語っています。

アルプスの少女 ハイジなどはその最も良い例。
ハイジが出会う様々な「不快感情の体験」、
意地悪な女中のティネッテにいじまられること、頭の固いロッテンマイヤーさんのこと、
アルムじいさんのことなどすべてが、様々な苦しみを通じて目的地へたどりつくまでの見事な息遣いとして構成されているのですが、ダイジェスト版となると、この大事な不快な部分をみな省略してしまっているのです。

アンデルセングリム童話なども共通しているようですが、長い歴史を生き延びてきたこうした物語には、不快な体験との付き合いのプロセスがしっかりと描かれているものです。

こうした不快なものとつきあう体験、これを子どものときに安易に省略してはならない。
紙オムツの弊害なども同列の問題といえるかもしれない。

アルプスの少女ハイジだけでも今、この機会に読み直してみてはどうだろうか。
角川文庫版が手ごろなところ。