~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

文章をつづることの価値の再評価

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このところ文章を書くこと、つづることの意味を考えされる話題が続いています。

ひとつは渋川市在住の教師、飯塚祥則先生の本で
『田中の家に犬がくる』(本の泉社)952円+税

地元なので、直接先生が本を届けてくれました。
最初にお会いしたときに、私も「手作り本・小冊子活動」を少しばかりはじめている旨お話したところ、先生も本の本の紹介時にそのことを記憶にとどめていてくれて、その活動とはいったいどのようなことなのか先生の方から聞き返してくれました。
私の方は、文章を国語・文法的に正しく表現することよりも、そのひとらしさの発見と、誰に伝えるかを絞り込むことにこそ力点をおくものであることを話すと、先生のやっていることもまったくそのとおり同じことであると、立ち話ではありますが意気投合することができました。

すばらしいと感じたのは、先生は国語の先生としてこうした作文活動を行っているのではないということです。飯塚先生の専門教科は体育だそうです。
国語の授業で必要な作文としてではなく、子どもと教師が教育現場で向き合うために必須の、というよりはとても有効な手段として作文の力を知ったということのようです。

本書の「あとがき」には次のように書かれています。

「私が作文の指導法を大きく変えたことによって、現在の子どもたちは、以前の私には想像もできないほどの表現意欲に支えられ、教師が手を加えない「自然でありのままの表現」が可能となりました。
その中で子どもたちは、受け止めてもらえる安心感と分かってもらえる満足感が膨らんでいき、作文を書くための豊かな土壌となっていくのだと私は考えています。」

教育の力をどこに求めるのかということで、とても大事な視点を飯塚先生は経験を通じて提起されているように思えます。

2年くらい前だったと思いますが、フィンランド方式として『競争をやめたら学力世界一』(朝日新聞社)という本の紹介で、そもそも教育というのは、既存の知識の体系を子どもに教え込むことよりも、子ども自身が興味を持ったことを集中的に学ばせて、教師はそれをバックアップ、サポートする方が実際の学力も伸びるという話を書いたことがあります。
飯塚先生の視点も、まさに教育の力を「与えるもの」としてよりもこうした子ども自身の側から発揮されるものとしてその条件作りを試みてくれたといえます。

このことを飯塚先生は、教師が題材や内容に応じてこどもの持っているものを「引き出す」作文ではなくて、こどもの持っているものを「受け止める」作文の価値といったものを、体験を通じて感じたらしいのです。

当店では入荷が遅れて、先生の持ち込みでようやく店に並んだところですが、わかりやすいように専用オビを勝手につけさせていただきました。



 もうひとつの話題は、今日の上毛新聞に掲載された記事で知ったのですが、以前、私も県庁の企画でお世話になったことのある方、前橋で塾を経営されている立木睦己さんの活動です。
不登校や引きこもりなどの若者や保護者との交流経験を積み重ねてきた立木さんが、そうした若者たちが文章をつづることで、自分と向き合う経験をし、そのことが自立や就業支援にもつながると感じ、新しく「通信」を発行することになったとのことです。

今の子どもたちに限らず、私たち大人も含めて、自分と向き合うことの難しさといものを、私も手作り本の活動を通じてつくづく感じています。

そうしたことを小さい頃に飯塚先生のような方に巡り合えなかった子どもが、大人になって取り戻すというのは、とても難しいことです。
それを立木さんは、不登校や引きこもりの若者たちの間で取り組んでいます。
すでにこうした分野で長年の実践経験のある立木さんですが、ひとりひとり個別の実情に応じた文章との出会いは、また新しい体験であることと思います。
そのひとつひとつの表現と向き合い、またそれを受け止めるということは、下手な資格や学歴をひとつ増やすことよりもはるかに価値のあることだと思います。

教育方針の転換などということではなく、日本各地でこういった流れが生まれつつあるのを感じます。

随分昔のことですが、かつての日本教育界では「生活綴り方運動」といったようなことが流行ったことがありました。その成果を受け継いで、また新しい流れが各世代でおこりつつあるようです。

うれしいことですね。
世の中、きっと良くなりますよ。

では、みなさん、よいお年を。