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武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』

「核」と「放射能」というもののもつ「とてつもない危険性」の問題以外に、現代特有の「巨大事故」がどうしても起きてしまう理由というものも、同時にもっと真剣に考えなければならないと感じます。

これも、前に書いたこととは別の「個々の安全性と高めるだけの発想では解決しない」、巨大事故がおきる理由としてどうしてもあげておかなければなりません。


チェルノブイリ事故はどのように起きたのか

(以下、武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』中公新書ラクレよりの引用でおさらい)

 チェルノブイリ原発が建設時に不手際があった欠陥原発だったことは事前にある女性ジャーナリストが指摘しており、事故後になってその記事の指摘が的中したとして世界的に有名になった。ただそれは結果論であって、それまでのチェルノブイリ原発は事故を起こさず運転されてきており、むしろ優秀な炉として評価されていたため、停電時にディーゼル発電機が立ち上がるまでの間、タービンの慣性回転を利用して発電し、緊急炉心冷却系に電力を供給する実験の対象として選ばれる。

 86年4月25日、夜の11時になって出力降下作業に着手され始める。これは実は二度目のトライであり、最初はその半日前に行われ、出力を低下させ始めた運転員は、同時に緊急炉心冷却装置ECCSの信号回路を切っていた。回路が生きていると実験中、炉心の水位が下がった場合に、ECCSが作動し、注水が行われてしまう可能性があったためで、これは予定された作業だった。

 ところが、その後に予定外のことが起きた。出力をさらに下げようとした時、キエフから指示があり、電力需給の関係で50%の出力で運転を維持しろと言う。その段階で実験は半日おあずけになってしまった。

 その後交替した運転員が実験を再開させる。ところが、直後に出力が一気に3万キロワットに落ちてしまった。あわてた運転員は出力を回復させるべく悪戦苦闘し、なんとか20万キロワットまで戻したものの原子炉は極めて不安定な状態になる。かろうじてなだめつつ出力を維持したが、その時点で制御棒を引き抜きすぎていた。

 そして運転員はタービン停止に伴って原子炉を緊急停止させる信号も切ってしまった。これは規則違反に当たるが、最初の実験がうまくゆかなかった時にもう一度やり直せる状態を維持したかったからだと考えられる。

 翌午前1時23分04秒。実験のために緊急閉鎖弁が閉じられ、以後、タービンは慣性で回転し続けるが当然、その回転数は減り始め、タービン発電機に繋がれていた循環ポンプの能力も低下する。その結果、炉心を流れる水の量が減り、冷却水温度が上がり始め、内部の水泡を増加させた。チェルノブイリのRBMK型と呼ばれる炉は、低出力中に水泡が増えると出力が増加する。

 かくして暴走が始まる。緊急停止を行う回路は切られており、制御棒を抜かれた状態で、暴走を止める術はもはやなかった。
原子炉は同43秒から44秒までのたった1秒の間に3億2千万キロワットまで出力を増加させ(フルパワー運転の100倍、20万キロワットだった実験時の出力の1600倍)、燃料ウランは内部から粉々に砕け、高熱の酸化ウランが冷却水と接触し、蒸気爆発を起こして原子炉建屋の上部を吹き飛ばした。破戒された原子炉は内部にたまっていた放射性物質を大気中に放出し、それは遠く日本の空にも降り注いだ。
                     (引用、ここまで)

参照映像
チェルノブイリの真相 ~ある科学者の告白~


高木仁三郎は、「チェルノブイリの事故を、事故論として総括すると
〈ひとつひとつが信じられないような規則違反が重なり合うというもっとも信じられないことが起こった〉ということではなく、

〈ひとつひとつでは起こりにくいようなでき事や規則違反が連なってかえって起こりやすくなった〉ということなのだ」という。


 『巨大事故の時代』(弘文堂 1989年)のなかで高木仁三郎は、多重防護による安全設計が、なぜあっさり破綻してしまうのかを検討しています。
このなかで高木は事故を重畳型、共倒れ型、将棋倒し型の3種類に分類してます。
チェルノブイリの事故は、まさにこの将棋倒し型の典型でした。

事実は、まさに「核」ゆえにのことであるわけですが、ここには「核」に限らない「安全性」の問題が浮き彫りになってもいます。


 個々の場面のミスや規則違反は、私たちの日常でもよく目撃されること、よく起きていることです。 

 そこには、注意力の強化や組織の体質だけでは解決できない、もっと大きな問題が潜んでいるように見えます。

             以上、brog 「かみつけ岩坊の雑記帖」より改題転載