~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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第二の心臓

健康ネタをしばらく続けよう。

以前にどこかに書いたが、
人間の心臓は一日にドラム缶およそ30本分の血液を
体内に送り出す働きをしているという。
自分で灯油を手動ポンプでくみ上げる作業をしたら、
2~30リットルのくみ上げ作業を10分程度やっただけで腕は疲れてしまうが、
それを心臓は生涯、一瞬たりとも休むことなく続けてくれている。

そのエネルギーはどこからくるのだろうか?
人間の体のなかで、常に心臓だけは、
ちょっと疲れたからとか、
腹が減ったからとか
今日は気分が乗らないからとか、
ちょっとどこそこの体調が悪いからなどの言い訳は一切することなく
文字どおり年中無休で生涯働き続けてくれる超スグレモノである。

この心臓が、生涯にドッキンドッキンと働き続ける鼓動の数は
哺乳類の場合はだいたい共通して15億回であるという。
ハツカネズミの場合は1分間に600回から700回、
ゾウの場合は3秒に一回の割合でドッキン。
この15億回の鼓動のスピードでその動物の寿命はほとんど決定されているということが
昔話題になった本川達雄の『ゾウの時間ネズミの時間』中公新書に書かれていた。

この計算を人間に適用すると、人の生物学的な寿命は26.3年ということになる。
あれっ?と思うような数字だ。
でも、縄文人の寿命がおよそ30歳くらいだったといわれる。
この計算値との違いは、焼いたり保存したりする食料による食生活の違いなど
単純比較できない様々な要因がからんでいるが、
つい最近、戦前まで人生50年などといわれていたくらいだから、
文明による要因がいかに生物学的条件を左右しているかということだ。

しかしここで取り上げたい本題は、この心臓の脅威の働きそのもののすばらしさではなく、この心臓の働きを支えている第二、第三、そして第四の心臓の働きのことである。

ここで言う第二の心臓とは、
血管のことです。
血管は、第二の心臓というより、
心臓の一部分もしくは心臓の延長と考えたほうがよいかもしれない。

通常、人の心臓の鼓動を確認するには、直接胸に手や耳を当てたりするよりも、腕や首の動脈の動きを通じてそれを知る。それだけ、血管の収縮による脈拍が心臓の鼓動と同一であると確信されており、心臓の鼓動と血管の脈拍の間に実際のズレはほとんどない。

このただ一箇所の心臓の働きだけで、人の体の毛細血管の集積地である脳の細部から足のつま先まで血液をくまなく送り届けているのは、ただ心臓のポンプによる圧力のみではなく、それと連動した血管の収縮、脈拍によってこそ行われている。
動脈と静脈の分業や毛細血管にまでスムーズに血液を送り込むには、ただのパイプではこれだけの働きをすることが出来ず、心臓の鼓動とともに自由に収縮し、なおかつ血液を逆流させない働きがともになければできない。

さらに昼と夜の体内時計を担っているのも、この血管の働きによるところが大きいといわれている。
昼の太陽の光を血管が感じて活発に活動し、夜、暗くなると血管の活動も静かになる。
朝、日が昇り明るくなることでまた血流が活発になり朝立ちを迎える。

 この全身くまなく巡る血液の流れと「気」の流れはほぼ同じものといえる。

 この血管を通じたスムーズな血液の流れが、俗に体が硬くなるとたちまち滞りだすのだが、とりわけこの血流停滞には現代人特有の阻害要因がある。
それは、内臓下垂です。
 人の内臓は、胃、肝臓、腎臓、大腸、小腸などどれも棚のようなものに乗っかっているわけではなく、ただ腹のなかに押し込まれているだけのもの。
 これが四足動物の場合は背骨から均等にしたにぶら下がっていられるが、二足歩行の直立した人間になると、なんの支えもないまま縦につながって押し込まれている。
 これがちょっとバランスが崩れると、内臓が下に下がってきてしまい、下半身に血液が流れなくなってしまう原因になり、子宮を圧迫して様々な障害をもたらす要因になったりする。
 よく中年の女性が、お臍の下がポコンと膨らんでいるのはこの症状といわれる。
 また下がった内臓を引き上げようとする姿勢が怒り肩となってあらわれる。

この辺の説明をしだすとまた長くなってしまうのでやめておきますが、
こうした障害を起こすことなく、
下半身に、
脳に、
スムーズに血液が流れ循環する体をつくることが
日ごろの「養生」や「気功トレーニング」の基本。

この血管の血液の流れをさらにサポートしているのが
次に書く「第三の心臓」のはなし。