~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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リナックスとWEB2.0時代

最近の日記・ブログで、村上さんの自費制作パンフ「しぶかわ」のことや、WEB2.0時代の整理術・仕事術を書いていて、OSソフト、リナックスを開発したフィンランドの青年のことを思い出していた。


 リナックスマイクロソフトの「ウィンドウズ」に対抗するOS(オペレーティング・システム)として知られる。
 開発者はリーナス・トーバルズといって、日本にも来ましたが、非常に爽やかな青年です。リナックスは1991年にヘルシンキ大学の学生であったトーバルズが、当時大学や研究施設などで支配的なオペレーティング・システムであった、ユニックス(UNIX)と同じ操作性と機能を目指してつくった「オープンソース」のソフトでした。
 オープン・ソースとは、基本設計を完全に公開し、ユーザーが自由に改良したり、カスタマイズできるようにしたソフトウェアのことです。
 当初つくられたソフトは、大変素朴なものであったようですが、彼はこれをネット上に公開して、みんなでこれをブラッシュアップしよう、そして基本設計を非公開にしたまま有料で販売され、世界中のパソコンのOSの事実上の標準となっているウィンドウズの独占を崩そうと呼びかけました。
 その理念に賛同したユーザーたちは力を合わせて改良を重ね、リナックスをウィンドウズに対抗しうるオペレーティング・システムにまで発展させていきました。 

 重要なのは、トーバルズが、パソコンのOSを公共財と考えたことです。

                      内橋克人『悪魔のサイクル』より

 
 これに対してマイクロソフトなどは、XPなどの新しいOSが出ると、前のOSのサポートサービスを打ち切ってしまうことなど、公共財としての側面などまったく考慮せず、儲けるしくみしか考えていないとしか思えない現状がまだ続いています。

 長い間、これに対して異論を唱える人はいても、現実にそれに対抗することなど、かつては思いも及ばぬことでした。
 ところが、最近ではこのリナックスの例にとどまらず、個人がその気にさえなれば、ネット上などで各分野から協力者を集めて開発したものが、大企業の莫大なお金をかけて優秀な人材を大量に投入した製品に十分対抗できるレベルのものが、けっこう出来てしまう時代になってきているのです。
 現実には、「それが好きだから」「面白いから」といった動機だけで個人がやってしまうという例から、営利事業よりもボランティアやNPO、協同組合、LLPなどの組織形態のほうが商品の性格に合う例など、様々な経路が考えられるようになってきています。

 意外と知られていないことですが、グローバル資本主義の最先端のようなアメリカで、この非営利の事業が急速に増えていることが、P・ドラッカーなどにより以前から指摘されていました。

 この特定の「公共財」としての性格の強いものに対して、それにふさわしい生産、販売形態をもつことの見直し作業が、今、少しずつではあるがすすみ、社会のしくみもいろいろな面で変えつつあるようです。

 さきの村上さんの自主制作パンフ「しぶかわ」なども、公共性があるからといって安易に自治体に委託することよりも、その都度、必要な事業の内容に応じて自分たちで儲けることはできずとも採算のとれるかたちで成し遂げるということがこれからの時代、とても求められるようになってきています。

 この間、肥大化した行政組織をやたら民営化によってそぎ落としていくことばかりが強調されてきましたが、必要な事業はどんどん増やしながらも、なおかつそれが利権集団として固定化しないためにも、このようなその都度必要に応じて構成される非営利事業(またはLLPのようなもの)の姿がきわめて大事になってくるのではないかと思います。

 企業自身も、情報公開や製造物責任法などの流れからこのことは気づきだしています。

 ただ、これが現実に根付くには、先のリナックスの例にも見られるように、共感してくれる人はいても、それを一定の規模をもって定着させるための、あとひと押しの努力がとても難しくも大事な作業となってきます。

 私自身もリナックスに共感したとはいえ、現実の業務はほとんどウィンドウズソフトでなければ、なにかあったときの互換性で面倒になることや、プログラムまでいじることの出来ない我々一般ユーザーには、フリーソフトとはいえ日本語版の市販ソフトを買うことがよぎなくされたりしてしまい、実質、進歩とはまだ言いがたいレベルです。
 ただ、前に話したWeb2.0時代ということが、データばかりでなくソフトまでもがネットの向こう側で動く時代になってきたので、ここに至り急遽、リナックスマイクロソフトを大きく揺さぶるチャンスがまた到来したともいえる。

 これからがほんとに楽しみな時代だ。