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日本人はどのように森をつくってきたのか

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エール大学で日本近世史を専門とする歴史学の教授をつとめていたという
コンタッド・タットマンによる著書
『日本人はどのように森をつくってきたのか』
築地書館 定価 本体2,900円

ネリー・ナウマンの『山の神』など、しばしば外人の日本研究の深さには驚かされるものですが、本書のような日本の森林の保護育成に関する研究は、外国から強い関心をもたれることは本書によって決して不思議でないことがわる。
古代文明に限らず、これまで世界の多くの文明は森の破壊をともない、同時にそれとともに滅びてきたといってもよい。それが日本においては何度かの失敗の経験はあるにもかかわらず、他の文明のような衰退に結びつくような森林の決定的破壊には至ることなく現代に受け継ぐことができた。
それは、この著者ならずとも他の文明諸国から大きな関心をもたれて当然のことともいえる。

しかし、その歴史は決して平坦なものではなかった。
律令国家の成立過程で見られた古代の略奪(西暦600年~850年)
秀吉・家康の諸国統一に象徴される近世の略奪(1570年~1670年)
そして江戸時代の急激な人口増加、都市開発
たび重なる大火により木材需要の急増などを経験してきている。
新しくは第二次大戦による壊滅的ともいえる伐採による全国の禿山化。

この本で取り上げられているのは江戸時代までですが、
江戸時代に入ってすぐれた農書もたくさん書かれ、
その研究成果がひろく全国に伝えられるようにもなったのが詳しくわかる。
とりわけ、人口の増加や木材需要の高まりにともない
必然的に山林の管理が、
多目的利用から単一利用に変えていかなければならない経緯が
(これは山林管理に限ったことではないが)
山林独自の形態で江戸時代にすすんでいく過程が興味深い。

単一利用といっても山林の場合は、
「必ずしも一つの土地を唯一の目的に使うということではない。
むしろ、その土地の利用者が優先順位の最も高い目的を一つだけ受け入れ、
他のすべての二次的な目的については主目的と両立する限りで容認するということである。」
(本書166頁)
これは、他の産業や現代との比較でとても大事な
自然資源にたいする「所有」概念の違いが背景にあるともいえる。

「山林の管理というのは、土地の所有というよりも利用権の定義と適用にかかわっていた。
土地を『所有する』者は誰もいない。
江戸時代の日本には所有の概念が存在しなかった。
これに対して利用権は普遍的に認められていて、あらゆる土地論議の中心をなしていた。」(本書104頁)

この所有権ではなく、利用権でものを考えるという発想
歴史を逆戻りさせるという意味ではなく
これからの時代を考えるうえでも大事な示唆を与えているように思えた。

しかし、タッドマンが強調しているのは
日本で森林保全対策がかろうじて保てた理由は、
決して日本人の自然観や地理的特性などによる単純な理由ではなく、
\己的要因
技術的要因
思想的要因
だ度的要因
ダ限崚要因
それぞれの相互作用を伴いながら過去の失敗に学びつつ
しばしば綱渡り的な努力の積み重ねをしながらなしえてきたということです。

ちょっと硬い研究書に見えるかもしれませんが、
日本史の重要な鍵を示す大事な1冊であると思います。