~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

100年経っても日本に追いつけまい

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昼飯を食べによく行っている店で、ずっと前から思っていたこと。

ランチに出るサラダ専用の小さいフォーク。

これでサラダを食べていると、
最後に残った少しばかりのコーンやレタスなどの小さい切れカス、
実に食べにくい!

小さなフォークで刺して食べようとするが、
残りのコーンや野菜は既に刺すことままならぬ小さな切れカスと化している。
皿の淵の傾斜を利用してフォークの上に乗せようとするが、
既に小さな切れカスと化しているので、いくらフォークを滑らせても
フォークの上にはのってくれない。

このイライラもピークに達すると
思わずフォークを投げ出したくなる。

毎度、このサラダを食べるたびにこんなことをしばらく続けているのだが、
結局散々格闘したあげく、皿に口をつけて掻きこむか、
そっと皿の淵に親指をそえてそこに寄せてフォークに乗せるか、
周りを気にしない場所でいつも食べているから良いもの、
世の中の正しい人々はいったいどうやって食べているのだろうか?

そんな最後のキレカスにこだわって無理に食べようとするのがいけないのか?
とんでもない、食べ物は、米粒ひとつ、トウモロコシ粒ひとつ
絶対におろそかにしてはならない!

自分ひとりの食事なら、オレは皿までなめて、後の食器洗いを節約するくらいだ!?

苦労したあげく主食パスタ用のフォークかスプーンを添えて取ることもあるが、
それはあくまでもは主食用のもので、順番に使う洋式の発想からはありえない使い方?

西洋人は、毎度こんな不自由な食べ方をしているのだろうか?
「すくう」「刺す」「寄せる」しか出来ないこの道具、
なんと知恵の無い道具なのだろうといつも思う。
ただ握ったものを動かすだけで、なんにも考える要素がない。

皿から口に入れる動作そのものの構造を見れば、
なんか動物の食事のレベルとあまり大差もないように思えてくる。

それに比べたら
日本(東洋)の箸といったら、
「挟む」、「つかむ」、
なんて知的な作業なんだろう。

毎日のこの動作の違いは、人間の知能の発達に決定的な差をもたらしているに違いない。

 世界に誇った日本の製造業もその拠点を海外生産にどんどん移行し、かつての勢いこそなくなったが、その海外で生産されている工場の製造機械やロボットのたぐいは、今でも日本製が主流。
 精密な技術の分野では、まだまだ日本は外国に負けていない。
 油断すれば、ベトナムやインドなど器用な人種の国々に抜けれかねないが、少なくともナイフやフォークなどを使って毎日食事をしているような民族には負けることはなさそうだ。

 もし、日本が国策として、他国に対しては、外国のナイフとフォークの文化はすばらしいと褒めつづけて、自国内では箸の文化をきちっと守りきることができれば・・・・・

100年経ってもGDPにおいて日本に追いつく国は出ないはずだ!
間違いない。