~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

手作りの本

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 今、私はプライベートで、叔母の書いた文を本にまとめる作業をしていて、先日ようやくゲラ刷りレベルまでこぎつけました。
 実は、私がこの叔母の本つくりの作業をするのは、今回が二度目。
 叔母にとって出版は三度目になります。
 叔母の最初の本は、きちんとした出版社から市場にも出回るかたちで出版したものでしたが、一人前の本として出した満足感こそあったものの、装丁や編集など、どうも思いどおりにいかなかったことが多く、なんとなく不完全燃焼の叔母の姿をみていました。

 そんなとき、叔母の書き散らかして溜めてあるたくさんの文章を見ていて、私はひとつのとても魅力的な文章に出会ってしまいました。
 もし、自分がこの文章を他人に見せて喜んでもらえる本のイメージとして完成させるなら、などと考え一部だけワープロ、コピーで試作品をつくってみたら、これが思いのほかいいものが出来て、叔母にもたいへん気に入られてしまいました。
 それが1枚目、2枚目の写真のものです。
 最終的には50部程度つくったかと思います。

 ストーリーは、ネコ嫌いであった叔父が、あるいきさつで家でネコを飼うことになり、それとともにそれまでの生活が一変してしまったこと。
 同時のその叔父の浮気騒動などもあり、不安定な夫婦の間がネコとの予想外のかかわりのなかでとりもたれていく経緯を書いた文です。
 赤裸々な内容もありますが、子どもや孫たちに、あるいは親しい友人にひとりの女性の生きザマを伝えるものとして、とても価値あるものがつくれた満足感がありました。

 これがきっかけで、どうしても他の文章も、本に仕上げて欲しいと頼まれてしまい、今回の話になったのですが、前回の「猫の子守唄」のようなよくできた話は、そうあるものではなく、叔母のたくさんのノートや広告用紙の裏に書いた文章の山を渡されて、半分、困ったことを頼まれてしまったと思っていました。

 ところが、
 叔母のひとつひとつの文章を校正して清書していくうちに、この文も、あの文章も、「猫の子守唄」に劣らず、どれも見事なストーリーにあふれていることに気づきました。

(そのうちに、この文章は私のホームページ上でも公開しようと思ってます)
 
 よくこうした自費出版のたぐいは、本人だけの自己満足で終わるものであったり、他人は聞きたくない苦労話の羅列であったり、ただのご立派な経歴の叙述であったりするものですが、叔母の文章の場合は、そういった雰囲気がほとんどありませんでした。
 ひとりの田舎の厳しい農家に嫁いだ女性の生きザマが見事に表現されているのです。
(もちろんすぐ作家デビュー出来るほど、商品になるようなものではありませんが)

 こうした文章は、ひとに見せると評価が真っ二つに分かれるのを感じます。
 というか、興味を持つ人と持たない人に分かれるといったほうが正しいか。
 ずっとこの叔母の文章を見てきて、その違いがだんだんわかってきたのですが、自分と向き合う生き方のできるひとは、総じてこの叔母の文章にとても興味を持ってくれるのですが、自分と正面から向き合うことをせず、組織や世間の間だけでものを見ようとするひとの場合、どうも興味を持ってもらえないような感じがします。
 学歴や肩書きで生きてきているような人には、総じて読んでもらっても、なんの感想ももらえないことが多く、見せたことを後悔してしまう場合が多いのです。

 私にとっては、出版社に依頼する仕事ではなく、直接かかわりのある親戚のこうした本の制作をすることが、次第に限りなく価値のある仕事に思えてきて、残念ながら商売にはつながりませんが、このような仕事ができることがとても嬉しく思えてきました。

 本来、出版とはこういうものなのだと思うのですが、その著者の思いがわかる人が、それに最もふさわしい表現や装丁を模索しながら、著者と時間をかけていく作業。
これは、専門家の知恵や技術があってこそ出来る領域もありますが、身近なその人を知る関係のなかでこそ、もっと手軽に様々な形態でつくられるべきものだと思います。

 では、身近な町の印刷屋さんや、出版社の自費出版部門が、どうしてそこまでしないのか?

 これは、ものすごーく手間のかかる作業なんですよ。
 
 趣味でつくる手作りの本(絵本や歌集・句集、写真集など)について、いくつかガイドブックも出ていますが、1、2部の凝った本はいろいろ出来るものですが、数十部程度のある程度の量産レベルになると、やはりあまり趣向はこらせなくなってしまいます。

その手間をかけてこそ、良いものはできるのですが、ビジネスベースではなかなか難しいですね。