~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

「求めない」老子・道教・タオ

伊那谷老子として有名な詩人の加島祥造さんの新刊
『求めない』が、最近NHKで放送されたこともあり、今とてもよく売れている。

と、言いたいところだが、
例によって、人一倍重版にシビアな小学館の刊行ということもあり、
注文をしてもなかなか入ってこない。

朝日文庫からこの方の本は既に何点か出ていて、前からよく売れていたので、
うちの客層にもあった内容なので発売前からマークしていた。
しかし、商品が入ってこないことには話にならない。

著者自身の本も「求めるな」ということか?

そんな不満を感じているときに、出入りの高校図書館の司書の先生から、
ある生徒が就職試験の面接で、三国志を面接のネタで話したいのだが、
その場面で出てくる北斗七星や流れ星と人の死との関連を説明する資料が無いかと聞かれた。先生もネットや本を調べたけれどたどりつけないという。

私も三国志は読んでいないし、中国の古代思想に詳しいわけでもない。
でも道教老子には興味がある。

よく話をするとき、儒教以上に道教は、老子の古典から解釈をとる見方と、
古代からの神仙思想の流れをくむ民間思想の見方の区別も判然とせず、
明解に要約して説明しにくい思想でもある。

そんななかで、加島祥造さんの著作と福岡正信さんの無為自然を説く著作は、
老子道教、タオなどの理解をえるためには、貴重な本でもある。

それでも、中国の広大な古代思想の裾野からは、ほんの手がかりを得られる程度のものでしかない。
儒家道家の流れに仏教が割り込んだ中国の思想のルーツをたどることは、
とても興味深いのだけど、なかなか明解に解説した本もない。

そんななかで、かつてラジオで聞いた次のようなはなしを思い出した。

道教のながれは、奇数をつかい、
儒教のながれは偶数をつかうという。

そう言われてみれば、北斗七星、は道教
仁義礼智を語る里見八犬伝は偶数で儒教

老子は五千文をみんなに教え、病気のものには五斗の米(五斗米師)をもってこさせた、とか。

ほんとかいな、と思いつつも
更に深読みすれば、
広く自然界、天地の道を説く道教は奇数、または三角形を基本形にしていて、
精神世界、人間の内面に深くかかわる儒教は、偶数、または円を基本形にしているようにも思える。

あまりいいかげんな推測はひかえたほうが良さそうだけど
なんかすごく納得できてしまう論理に感じてしまう。

生徒の問いから司書の先生との話は無責任に広がってしまった。