~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

神様との距離

実力が無いにもかかわらず、あまりにも運ばかりが良すぎる自分に気づいてから、
ちょっとこれから先々も怖くなってきたので、
今度の正月こそは、目ぼしい神社にお礼参りしなければいけないと考えている。
それで神様に向かう、お礼参りの内容を考えていたら、
若いときと比べて、自分の神様に対する考え方が
無信仰な人間にもかかわらず、ずいぶんと変わってきていることに気づいた。

20代のころは、
天にこぶしを振り上げ、
「天よ我が意に従え!」とばかりに、
自分の主義主張のとおりに世の中すべてが動かなければおかしいくらいに考えていた。
社会科学的思考に偏重してた時代。

30代になってからは、多少過激さは無くなったものの
フランスの昔の大統領だか誰かが言ってたことらしいですが
「どうぞ神様、運命をもてあますようなイタズラはせず、
 こちらのことはどうか私におまかせください。」
と、神社には向き合っても、自信過剰な自分が見え隠れしていた。
ビジネス思考に偏重していた時代。

オー マイ ガッ!

それが、最近になってからようやく、
神様というものは、頼んだりお願いしたりする対象ではなく、
ただひたすら感謝する相手として見えるようになってきた。
日頃マイミクさんたちの言っていることが、少し自分にも理解できてきたような。

たとえどんなことが身に降りかかっても、
まずすべて受け入れる覚悟のようなものが
少しだけ出来上がってきたからのような気がする。

先週、あることで、
私は、それが可能であるかどうか、自分にできるかどうかではなく、
それをすべて受け入れる覚悟というものを先に決めた。
すべてのことに対してそんなこと出来るようになるわけないので、
あるひとつの関係だけ、それを自分に誓った。

そうすると、直面する問題が、
自分の能力や資質の問題であっても
他人の能力や資質の問題であっても
なにも足りないものはない、
なにも不足していない、
そう感じられるようになる。

たとえひとつの関係だけでもそれが出来るようになれば、
他のほとんどの関係でもそうした考えが出来るようになるだろうと。

すると自然に、要求することよりも
感謝することが先に出るようになる。

だんだん世の年寄りの世界に近くなってきたのだろうか。
お茶を一杯飲んでも
ありがたや。
ありがたや。

とまではまだいかないけど、
年齢とともにみんな
こんなふうにして、年をとって
神様との距離がだんだん縮まっていくのだろうか。


あっ!
この話、失敗!

つい地上生活が長くなってしまうと
自分の素性のこと忘れてしまう。

私は、そもそもはじめから
「天使の言葉を伝えるために
 星の上からやってきた」んだっけ。