国を救ったキューバの有機農業
『有機農業が国を変えた ─小さなキューバの大きな実験』
吉田太郎(キューバ農業研究者)著
2002年/四六判/256ページ/2200円+税
私に兄貴がいるわけではないのだけれども、兄貴というイメージがもっているものは、
阪神の金本に代表されるように、たくましく頼れるヤツ。
決して緻密な計算でものごとを進めるタイプではないかもしれないけれども、
いざというときには、予想もつかない行動で必ず期待を裏切ることなく
弟や妹たちを助けてくれる。
キューバという国は、わたしにそんな兄貴のようなイメージをいだかせてくれる。
最近のテレビの放送で知ったのですが、
アメリカののど元に突き刺さるように生まれたカストロ率いる社会主義国家キューバ。
観光地としてとても人気がたかい国。
キューバ音楽もとても魅力的でファンも多い。
そんなキューバは、アメリカの圧力に包囲された厳しい環境のなかで、唯一ソ連からの優遇された援助支援に支えられて、長い間生きながらえてきました。
それがソ連の崩壊とともに、その存立基盤が一挙に崩れ去りました。
「1989年まで、キューバ社会主義経済は、最先端の工場的農業技術を駆使して、大量の砂糖、タバコ、豚肉を生産・収穫するよう計画されていた。
そして、ソ連はキューバに、衣類、医薬品、燃料、家畜飼料、機械類とほとんどすべてを、まさに我々の資本主義国家に対抗し沖合いにある共産主義国家を支えるために、ディスカウント価格で売っていたのだ。」
これがソ連の崩壊とともに、それまでキューバを支えていたあらゆる援助が断ち切られるだけでなく、自国の産業基盤そのものも、瀕死の状態に陥れることになってしまいました。
援助が期待できず、自国で食料を自給しようにも化学肥料や家畜飼料は手に入らない。
産業を興そうにも、生産設備、機械類、それらのスペアパーツ、さらにはガソリンもソ連からの輸入に頼っていたため、これまでの設備はほとんど活かせず、まったく新しいなにかをつくりださなければならないところに追い込まれてしまった。
このカストロが「スペシャル・ピリオド」と呼んだ時代は、一人当たりのカロリー摂取量は、35%以上も落ち込み、人びとはとても飢えた。
ちょうど今の日本と同じような食料・エネルギー自給率の状態で、輸入が完全に絶たれたということです。
そこでは、「劇的ななにか」を起こさずにはいられない環境に追い込まれていました。
そこでうみだされたのが、有機農業を軸として、農民たちを消費者と直接結びつける市場に基づいたシステムです。
テレビ番組をみると、まず国内のあらゆる空き地を、その規模にかかわりなく農地化することに政府はあらゆる手立てで援助し優遇処置をとる。
生産性を上げるために、農業の集約・大規模化などはかっても、化学肥料、トラクター、ガソリンが手に入らないので、小規模な有機農業を増やすことこそ、唯一の解決策であったからです。
すると、都会のわずかな空き地も農地となるので、消費者やレストランのすぐ隣に農地ができるのです。
テレビでみた映像では、日本の個人宅の家庭菜園を行っているような幅数メートルの空き地でもあれば、すべてそれは農地となっているのです。
今日採れた農作物が、その場で消費される。
レストランで必要なものは、その店の隣の畑から収穫される。
さらに、生産者が直接消費者に届けるので、生産者は何が喜ばれるのか、どのような作物が必要とされるのか、その日その日で直接知り、需要を追いかけることができる。
この機械化されずに細分化された農業の拡大は、労働集約型であるために雇用も生み出す。高齢者が無理なく自分の暮らしている場所で働く場ももたらす。
ふと気づくと、ただ昔の姿にもどっただけかの光景。
しかしこのシステムが、今や皮肉にもアメリカへ輸出されだしているのです。
この国家レベルで成し遂げられたパラダイムの転換は、今世界中から注目されだしています。
日本で行われている有機農業は、どこもまだ生産者との距離が、物理的にも心理的にも遠く、流通の壁がなかなか乗り越えられません。
その多くは個々の事業者の安全でおいしいものに対する高い使命感でささえられています。
でも、このキューバの例を見ると、そもそも国家の独立、自立にとって必要な最低限の国策として位置づけられるだけで、必ずしも大規模な予算処置をとることなく、その転換が可能であることを気づかせてくれます。
日本の政治家やお雇い学者たちが出す政策などのはるか先のことを、この小さな国はやってのけてしまった。
キューバ!
わたしは、とってもかっこいい国だと思う。
吉田太郎(キューバ農業研究者)著
2002年/四六判/256ページ/2200円+税
私に兄貴がいるわけではないのだけれども、兄貴というイメージがもっているものは、
阪神の金本に代表されるように、たくましく頼れるヤツ。
決して緻密な計算でものごとを進めるタイプではないかもしれないけれども、
いざというときには、予想もつかない行動で必ず期待を裏切ることなく
弟や妹たちを助けてくれる。
キューバという国は、わたしにそんな兄貴のようなイメージをいだかせてくれる。
最近のテレビの放送で知ったのですが、
アメリカののど元に突き刺さるように生まれたカストロ率いる社会主義国家キューバ。
観光地としてとても人気がたかい国。
キューバ音楽もとても魅力的でファンも多い。
そんなキューバは、アメリカの圧力に包囲された厳しい環境のなかで、唯一ソ連からの優遇された援助支援に支えられて、長い間生きながらえてきました。
それがソ連の崩壊とともに、その存立基盤が一挙に崩れ去りました。
「1989年まで、キューバ社会主義経済は、最先端の工場的農業技術を駆使して、大量の砂糖、タバコ、豚肉を生産・収穫するよう計画されていた。
そして、ソ連はキューバに、衣類、医薬品、燃料、家畜飼料、機械類とほとんどすべてを、まさに我々の資本主義国家に対抗し沖合いにある共産主義国家を支えるために、ディスカウント価格で売っていたのだ。」
これがソ連の崩壊とともに、それまでキューバを支えていたあらゆる援助が断ち切られるだけでなく、自国の産業基盤そのものも、瀕死の状態に陥れることになってしまいました。
援助が期待できず、自国で食料を自給しようにも化学肥料や家畜飼料は手に入らない。
産業を興そうにも、生産設備、機械類、それらのスペアパーツ、さらにはガソリンもソ連からの輸入に頼っていたため、これまでの設備はほとんど活かせず、まったく新しいなにかをつくりださなければならないところに追い込まれてしまった。
このカストロが「スペシャル・ピリオド」と呼んだ時代は、一人当たりのカロリー摂取量は、35%以上も落ち込み、人びとはとても飢えた。
ちょうど今の日本と同じような食料・エネルギー自給率の状態で、輸入が完全に絶たれたということです。
そこでは、「劇的ななにか」を起こさずにはいられない環境に追い込まれていました。
そこでうみだされたのが、有機農業を軸として、農民たちを消費者と直接結びつける市場に基づいたシステムです。
テレビ番組をみると、まず国内のあらゆる空き地を、その規模にかかわりなく農地化することに政府はあらゆる手立てで援助し優遇処置をとる。
生産性を上げるために、農業の集約・大規模化などはかっても、化学肥料、トラクター、ガソリンが手に入らないので、小規模な有機農業を増やすことこそ、唯一の解決策であったからです。
すると、都会のわずかな空き地も農地となるので、消費者やレストランのすぐ隣に農地ができるのです。
テレビでみた映像では、日本の個人宅の家庭菜園を行っているような幅数メートルの空き地でもあれば、すべてそれは農地となっているのです。
今日採れた農作物が、その場で消費される。
レストランで必要なものは、その店の隣の畑から収穫される。
さらに、生産者が直接消費者に届けるので、生産者は何が喜ばれるのか、どのような作物が必要とされるのか、その日その日で直接知り、需要を追いかけることができる。
この機械化されずに細分化された農業の拡大は、労働集約型であるために雇用も生み出す。高齢者が無理なく自分の暮らしている場所で働く場ももたらす。
ふと気づくと、ただ昔の姿にもどっただけかの光景。
しかしこのシステムが、今や皮肉にもアメリカへ輸出されだしているのです。
この国家レベルで成し遂げられたパラダイムの転換は、今世界中から注目されだしています。
日本で行われている有機農業は、どこもまだ生産者との距離が、物理的にも心理的にも遠く、流通の壁がなかなか乗り越えられません。
その多くは個々の事業者の安全でおいしいものに対する高い使命感でささえられています。
でも、このキューバの例を見ると、そもそも国家の独立、自立にとって必要な最低限の国策として位置づけられるだけで、必ずしも大規模な予算処置をとることなく、その転換が可能であることを気づかせてくれます。
日本の政治家やお雇い学者たちが出す政策などのはるか先のことを、この小さな国はやってのけてしまった。
キューバ!
わたしは、とってもかっこいい国だと思う。