~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

足利義政と銀閣寺

イメージ 1

ドナルド・キーン著 角地幸男訳
足利義政銀閣寺』
定価 本体762円+税

 わたしが修学旅行で銀閣寺を訪れたとき、それまでノルマ消化のごとく引きずり回されながら見てまわった京都・奈良の壮大、華麗な寺院の数々とは唯一違った、静かな空間であることだけは感じましたが、当時は、それのどこが良いのかはさっぱりわからなかったような気がします。

 ところが本書を読むと、苔寺西芳寺)や桂離宮など以上に、この銀閣寺などの東山文化というものが、日本文化史上、決定的ともいえる重要な位置をしめていることがわかります。

 まず、日本史上で鎌倉以前の平安絵巻などに出てくる建物や文化は、それ以後のものと較べると、まるで外国の文化化と感じるほどの違和感を、現代の人々は感じるであろうと、ドナルド・キーンは指摘しています。

 現代のわたしたちの住んでいる普通の日本家屋に、あたりまえのようにある畳の部屋や床の間、あるいは襖や障子など、これらのどれをとっても、鎌倉以前にこの形はなかったと。

 畳といえば、部屋の一部に敷かれる程度。
 障子や襖などの構造もまだ無かった。

 これらのスタイルのほとんどは、鎌倉時代足利義政の手による銀閣寺を中心とした東山文化の時代に確立されたものであるという。

 足利氏の歴代将軍は、誰を見てもそれぞれ個性的な将軍でしたが、義政ほど、軍事、政治ともに無能と自他ともに認める将軍は無かった。
 しかし、文化・芸術に関しては、それまでほとんどが中国からの輸入文化に頼らざるをえなかった時代から一線を画し、今、私たちが普通に日本的と感じている様式のほとんどを、義政の力によって確立したといっても過言ではないものがあるようです。

 歴史上の東山時代といえば、厳密には、義政が山荘に移った文明十五年(1483年)から、義政の死の延徳二年(1490年)までの、ほんの7年程度の期間に過ぎない。

 この短い期間に、義政は、政務のためでも、軍事のためでも、信仰のためでもなく、(それらをまったく兼ねていないわけではなかったが)純粋に日常生活のための最高の空間として銀閣寺などを建てた。

 将軍という立場でこそあれ、理想の日常生活のための書斎で、茶や花、掛け軸を観賞し、月を愛で、短歌を詠う最高の空間が、義政の審美眼により細部にわたって熟考された世界が完成された。

 政務や軍事に疎い義政であったからこそ成り立った発想であったかもしれないが、まさにそれこそが今日の日本文化の基礎となり得たのだといえる。

本書を通じて、足利義満、義教といった個性を知ることだけでもとても面白いものですが、義政の果たした歴史上稀有な役割をじっくり見せてくれる、とても面白い本でした。