~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

千回、1万時間の原則=自分の時間

昨日、お客さんと話していてこの話題になった。
ちょうど最近の新刊、野口吉昭『コンサルタントの習慣術 頭を鍛える「仕組み」をつくれ』(朝日新書)のなかに1万時間の原則のことが書かれていました。

どんな分野でも一流のプロに例外なく共通する「時間」として語られていることで、あらゆる物事の成功や習得や目標達成に「近道はない」ということを冒頭でことわったうえで次のようなことを紹介していました。

『生物の無生物とのあいだ』講談社現代新書で有名になった分子生物学者福井伸一氏のはなしで、以前、スポーツ、芸術、技能などの分野で、「そんじょそこらのアマチュアなど全くよせつけないプロフェッショナル」たちが、いかに形成されたのかについての調査が行われたことがあったという。その結果、「プロフェッショナルたちの多くは皆、ある特殊な時間を共有している」ことがわかった。
 その時間とは、10,000=1万時間。彼らは例外なく少なくとも1万時間、「そのことだけに集中して専心したゆまぬ努力」をしていた時間があったというのだ。

とてもよくわかる話です。

わたしもよく似たような話で、1,000回の原則のことを話すことがあります。
どんな分野でも「やったけどだめだった」「自分には出来ない」といった結論で終わる人と、それをやり遂げてかたちに仕上げることのできた人との差は、ほとんど例外なく、その努力の絶対量の差であると。

たいがいの挫折して終わる人の努力は、数回から多くて数十回の失敗で、やったけどだめだったと言う。
ところが、ことを成し遂げた人の場合は、ほとんど能力の差であること以上に、そのことの努力を100回どころではなく1,000回のレベルまでかさねていることがわかる。

ひとつの商品やサービス、あるいは技術を仕上げるまでのプロセスに、皆共通して1,000回クラスの努力を積み重ねているのです。

このはなしと10,000時間の話は、ちょうど同じことをいっているようです。

私は昔、業務用無線機器の設計開発などをしていた技術者のお仕事をお手伝いしていたことがありました。
そのとき、その方の仕事を補佐する従業員の誰もが、設計図面を書くとき、字の上手い下手にかかわらず、だいたい製図図面の通し番号が500番から700番くらいになるとき、一人前のきれいな図面が書けるようになるのです。
製図用の数字の書き方や、安定した線の引き方など、多少、器用不器用の差があってもだいたい800枚から1000枚も書けば間違いなく一人前の図面書きになれるのです。

この枚数と所要時間は、ほぼ一致します。
手書きで少し細かい図面を書くとだいたい3時間くらいかかることがあります。
(もちろん1時間以内で書けるものも少なくありません)
1,000枚も図面を書くとだいたい1万時間、それに費やしたに近いのです。

これは、決まった業務の手作業の熟練といったレベルの話ですが、ほんとうに分野を問わず、この原則は当てはまると思うのです。

最近、私は遊ぶのが忙しくてできないことが多いのですが、会社の業務以外の自分の仕事をだいたい毎日、夜3時間くらいとっています。
これを続けることが大事なのだと思いました。

人には余計な仕事をしている時間とみられるかもしれませんが、これこそがほんとうの「自分の時間」なのです。

こうした誰に読まれるかまったくあてもないブログを書く時間などもそうなのですが、ただ本を読んだり、仕事をしたりするだけの時間以上に、このように思っていることを表現できる範囲で書きとめておくことこそが、自分の時間と財産をつくっているときなのです。

忙しくて時間がないなどと言わずに、こうした時間こそ、もっと増やすように努力したい。
それは、もうひとつの不変の原則、時間を持て余した暇な人よりも「忙しい人ほどこうした時間をつくっている」現実からもいえることです。


そんなわけでして、
キミと遊ぶ暇がなくてゴメンネ。


              以上、別のブログ「かみつけ岩坊の雑記帖」より改題転載