~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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古神道から視た猿楽師たち

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今週の「週刊世界百不思議」の特集が
「スクープ!!『徳川埋蔵金赤城山発掘現場の今」  講談社 580円

でした。

水野智之さん、がんばってるな~。
もう76歳になるそうですが、水野さんはけっこういい本も書いているのですよ。

この発掘に投じた資金は350億円。
掘った坑道の総延長は25kmに及ぶそうです。
SMAPの慎吾君も応援団長になって、特番もつくられたみたいです。

実は、この埋蔵金と直接関係があるわけではないのですが、最近、徳川家康江戸幕府とつくるにあたってのかなりの財源を工面したといわれる男、大久保長安というとても興味深い人物を知りました。

菅田正昭著『隠れたる日本霊性史 古神道から視た猿楽師たち』(たちばな出版)に書いてあったことです。

これまで、なんとなく怪しい世界の本のような気がして手が出なかった本ですが、とても面白い本でした。


大久保長安(1545~1613)
江戸初期に活躍した、産業・技術の知識に長けた役人。

徳川家康の側近として、佐渡・但馬・石見・甲斐・伊豆などの金銀鉱山や、木曾における林業開発、さらに一里塚の制定など、財政・産業・交通に関する分野で目覚しい活躍をしている。
「特に、佐渡金山では直山制(現代的にいえば、直営事業ながら、その経営に一種の民間活力を導入した鉱山運営)を採用し、選鉱に南蛮流の水銀流し(アマルガム法)をとりいれるなど、先端技術の導入に積極的なイノベーターでもあった。
 さらに、武蔵八王子領主としての石高は三万石(十三万石という説もある)だったが、奉行衆・代官頭とての支配領域の総領高は、百二十万石を超えるといわれるほどの経済的な実力を持っていた。」

とうぜんこれだけの領高があると、様々な利権も発生する。
長安は中風を患い、それが原因で68歳で逝去するが、死んでから生前の姦曲が発覚し、遺子7人に切腹(斬首)が命じられた。既に死んでいる長安切腹を命じられている。

妬まれたゆえの濡れ衣かどうかはわからないようだが、妬みを買うほどの技能・裁量を長安はどこで身につけたのかということである。

一説では、キリシタン接触して鉱山技術を獲得したとの疑いももたれ、また、布教に来た韃靼人の子どもであるとも言われたようである。

謎解きは、この長安の出自を辿ることからはじまる。

長安は武田家お抱えの猿(申)楽衆の大蔵太夫金春七郎喜然の次男として天文十四年(1545)に生まれているのである。しかも、曽祖父は世阿弥の女婿として知られる金春流五世の七郎氏信(禅竹)なのである。」

武田信玄能楽師として召抱えられた父、金春禅竹の教えの流れを受け継ぐというが、猿楽四座の金春といい、金剛といい、ただの猿楽四座のそれぞれの名前ではない意味があるのではかという推論が出てくる。

そもそも武田の鉱山技術者たちの能力が長けていたこと、また戦闘においても彼らの穴掘り技術が大いに活躍したことは有名。
かれらから長安が、なんらかの技術を受け継いだことは、容易に想像できることであるが、能楽師鉱山技師がまったく異なる分野とも言い切れない歴史背景が、少しずつ見え隠れするのです。

この話を進めるには、奈良の東大寺建立のことにまでさかのぼる。

東大寺建立時の奈良の状況や、謎の多い儀式「お水取り」などの話につながるので、来週、奈良に着いてからこの続きは書こうかな。


    以上、私の個人ブログ「かみつけ岩坊の雑記帖」より改題・転載