~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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ホトトギス、時鳥、不如帰   ―― 渋川市の鳥

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漢字で時鳥、杜鵑、雷公鳥、不如帰などと書かれます。
徳富蘆花の小説で使われた「不如帰」の表記は現代人には読みにくいもので、通常の野鳥ガイドの本には出ていません。

不如帰という字は、中国でこの鳥の鳴き声を、旅人に対して
「帰るに如(し)かず」
と呼びかけているように聞こえたことによるようです。

平成の市町村合併の際にホトトギス渋川市の鳥に指定されましたが、単に徳富蘆花の小説の題材、舞台として伊香保に縁があるということだけではなく、ホトトギスという鳥が深く日本文化にかかわる歴史をもち様々な歌や物語を生んでいること知ると、この鳥はわたしたちに沢山のイメージを呼び起こしてくれます。

まずは、この本のことから


        徳富蘆花著『小説 不如帰』
              岩波文庫 定価 本体560円+税

 日清戦争の時代、家族制度のしがらみと結核にさいなまれる浪子と武男の哀切きわまりない物語としてあまりに有名な徳富蘆花の小説です。
 ちょっと昔の地味な小説と思われがちですが、数多くの演劇・映画の原作となって大ヒットした小説で、現代の韓国ドラマのブームと共通するような力がこの作品にはあります。
 


       あらすじ

 物語は伊香保の宿の3階の部屋からはじまる。

 陸軍中将で子爵である片岡の長女である浪子は、継母からつらい仕打ちを受けながら育つが、海軍少尉男爵である川島武男とめでたく縁談がきまる。
 しかし、この縁談を喜ばない従兄の安彦が、武男の留守に浪子の悪口を吹きこむ。

 浪子が結核にかかるとさらに厳しくあたり、武男の留守中に浪子を実家に帰してしまう。武男はこのことで母を激しく叱る。しかし武男はやがて現実を受け入れ浪子と別れ、戦死を覚悟で軍艦に戻るが、間もなく負傷して内地に搬送されてきた。

 列車が京都の山科駅ですれ違うとき、浪子は偶然に武男の姿を見つける。
 思いあまって自分のハンケチを投げかけたが、これが二人の最後の別れとなってしまった。

 浪子は、やがて「ああ辛い!辛い!もう決して女なんぞに生まれはしませんよ!苦しい‣・・・」と叫びながら帰らぬ人となってしまう。





 伊香保温泉の宿を出るとき、小説のイメージをからませて「帰るに如かず」とハンカチを振って宿の人が見送るような姿がどこでも見られるようになったら、この地を訪れた人びとにきっと印象深い素敵な旅の思い出を残せるような気がします。




   ◆◆◆ 季節を告げる鳥 ◆◆◆

 ホトトギスを時鳥と書くのは、文字通り「ときのとり」だからです。日本では、かつて、この鳥は五月になれば鳴くものと考えられていて、「古今集」には「五月まつ山ほととぎす」という成句ができています。

 ホトトギスの鳴く5月は農事の上からは大事な月です。
 昔の人には、ホトトギスの声と5月の田植とを切り離して考えることはできなかったのでしょう。
 そうした感覚の累積が「時過ぎにけり」という焦燥のもととなり、「しでのたおさ」[注:死出(賤)の田長=ホトトギスの異名]を呼ぶという俳諧の基盤ともなったようです。

 万葉集では156首も詠まれており、鳥類の中では最多。
 その影響なのでしょうか「古今集」の夏の歌34首のうち28首までがホトトギスを歌っています。

 ところが、それほど古くから親しまれてきた鳥にもかかわらず、私たちがその姿をみることはなかなかありません。
 「テッペンカケタカ」「特許許可局」など誰もが聞きなれた声ですが、写真を撮ることはとても難しいようです。


  ほととぎす 鳴くべ鳴かずの峠かな

この句は、碓氷峠を境にして、鳴くだろうというのを上州側では
鳴くべと言い、信州側では鳴かずと言うことを詠んでいる。


    ◆◆◆ 余 談  ◆◆◆

ホトトギスカッコウ科の鳥であり、托卵鳥でもある。
托卵鳥とは、自らは卵を育てずにウグイスなど他の鳥の巣に卵を預けてしまう鳥のこと。
利己的な遺伝子」の特徴をよくあらわす事例としても知られる。卵から孵ったヒナの背中には小さな窪みがあり、そこに他の卵を乗せて巣の外に落としてしまう。
竹内久美子『小さな悪魔の背中の窪み』新潮社(絶版)

 なにかとても恐ろしいことをしているように見えるが、自然界ではなんの悪意もなくそれぞれの生存本能にもとづいて黙々とやっている作業にしかすぎない。

             (以上、5月までには完成させる予定の店の三つ折りパンフ原稿より)