~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

贈与 その4、オッパイの巻

前回は、高度に発達した資本主義のもとにあっても、
生産力、国力の圧倒的な要素は大自然からの贈与によって担われていることを書きましたが、
今回はそのもうひとつの要素、人口(人間の拡大再生産)も贈与の構造によって担われている
ということを書こうと思っていますが、今、うまくまとめられるかどうかはわかりません。

最近男女平等や、雇用機会均等法などのゆがんだ解釈が浸透してくるにしたがって、
女性の家事や育児労働も、労働としての評価を与えるべきである、
といったような論議もおきていますが、
これも、労働というものをとても矮小化した賃労働の面からしか見れない
現代資本主義的思考からうまれた悲しい考えだと思います。

現時点では国の大臣クラスでも、もっとはるかに悲しい認識レベルの世の中なので、
まだまともな理解が得られる土壌はないかもしれませんが、
「社会」や「生命」そのものに対する理解度にかかわる問題なので、
ちょっと無理を承知で挑戦してみます。

まず、ラジオだかどこかで聴いたこんな話があります。
(もとの話ははっきりした記憶はないので正確ではありませんが)

ある母親の子どもが、もの心がつきだし世の中のことがわかってきたからなのか、
毎日、母親の手伝いをするたびに、
請求書を送りつけてくるようになった。
「請求書。
玄関のそうじ、100円
食事の後片付けの手伝い、100円
朝のゴミだし、100円
スーパーへのお使い、300円」

これが、毎日のように続くようになってきた。

そこで、母親はある日、その子どもに
母親から「請求書」をあらたに送りつけることにした。

「請求書。
お前が生まれたときにあげた母さんのオッパイ、無料(タダ)。
お前が育つあいだずっとあげている毎日の食事、無料(タダ)。
お前を学校にやるための服や月謝、無料(タダ)。
これから生きている限り、お前にそそぎ続ける母さんの愛情、無料(タダ)。」

表現は違ったと思いますが、
忘れられない話です。

当たり前といえば当たり前のことなのですが、
この親子のやり取りのような関係を、今、社会でなぜか日常的に目にするのです。

世の中、労働に対する報酬は、正当な賃金によって支払われるという原則、
これに異論はありません。

しかし、世の中が、いったいどれだけの無償の労働によって成り立っていることか、
誰かしっかりと説明しているひとがいるでしょうか?

私の問いかけ自体が、なんかの勘違いからはじまっているのかもしれませんが、
先の国力、生産力とも、大自然からの贈与を大前提にしており、
人間社会の世代継承も、「愛情」といった美しい言葉を出す前に、
圧倒的な量の無償の労働、贈与によって支えられているということが認められないでしょうか。

家族、地域社会などのコミュニティ、はては国家に至るまで、
崇高なボランティア精神や意識の高い皆さんのNPOなどの非営利活動を出すまでもなく、
あらゆる面で、多くの人びとの無償の労働によって
人類の長い歴史は築かれ続けてきていると思うのですが。

このことから、もう一度、企業活動を振り返ってみると、
よく企業のイメージアップや、
ブランド力を高める戦略、
いい人材を集める戦略、
あるいは、税金逃れの対策として、
文化活動や地域貢献、諸々の寄付などを積極的に位置づけていることが多いものですが、
先に繰り返した、生産の出発点が大自然の贈与からはじまっていることを考えれば、
その大自然が継続して資源を与え続けられる環境作りそのものを
最初の生産コストに入れるのが、本来の姿であると思います。
また地域社会の再生産の構造を維持し発展させることも
本来の生産コストに含まれて当然のものだと思います。

これらは、通常の労働のように投下資本、投下労働にたいする回収率などで
簡単に計算できるものではなく(大企業はこれを真剣にやってますが)
やはり、社会を支えるためのあたりまえの無償の労働の側面を知る必要があるのではないかと思います。

先に、母親の無償の労働ばかり指摘しましたが、
これが見えてくると、
会社で与えられた仕事をしっかりやって給料をとってくるのがオレの役割だから、
といって休みの日には家でゴロゴロしている父ちゃんが、
いかに社会的役割を果たしていない狭い労働しかしていないか、
ということがよく見えてこないでしょうか。

男も母親が子どもにオッパイを与えるがごとく、
地域や会社や家族に対して無償の労働をどんどん提供しても、
決して損することはない!
すばらしい日常を取り戻せる第一歩なんだと・・・・

言っても通じないだろうなァ。

でも、現代の高度に発達した資本主義のもとであっても、
世の中は、膨大な無償の労働(贈与)によって支えられているといことだけは、
わかってもらえないだろうか。
そのかけがえのない無償の労働をも
いくらの価値があるか、という賃労働化してしまうような蛮行を
これ以上進めることがないように願うばかりです。

うーん、やっぱり通じないか。


ヨシ!
今度、「オッパイの哲学」をいつか書いてやる。

(やはり、冒頭の言葉とはズレてますが、
もう2,3のことを次回に補足したいと思います。)