~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

情報パッケージとしての本

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 これまでデジタルコンテンツがネットなどにより自由に流通するようになると、多くの情報は、紙などのなんらかのハードに依存する必要がなくなり、限りなく無料で情報を入手することができるようになるということを書きました。
 しかし、情報の伝達の一手段としての本が、少なくなるとはいえ決して無くなるわけではないのも確かなことです。
 では紙の本の固有の価値は、いったいどこに求められるのかというのが「情報パッケージとしての本」というこのタイトルの課題です。

 その前に、紙に依存しないデジタルコンテンツの可能性とは、今どのようなものが考えられているのでしょうか。

 一般にホームページやブログ、携帯サイト、地デジTV画面、電子書籍などがその活躍の場として上げられますが、私はこれからの時代のデジタルコンテンツの普及如何を一番左右するのは、第一にハードの軽量化だと思います。
 今、その最大のネックはどちらかというとユビキタス社会などを想定すれば、軽量長時間バッテリーの技術になっているといえないでしょうか。そして同時にその長時間稼動を左右するものとして、消費電力の少ないハード技術の開発も鍵になっています。
 その次が、起動の早いOSでしょうか。
 今は、様々な機能を増やすことよりもこれらの問題を解決してくれることの方が、多くのユーザーの支持を得られるのではないかと思います。

 これらの問題はどれも順次進歩解決するとはいえ、なかでも最大の課題は液晶画面を中心としたディスプレイ技術の進歩の問題が意外と大きいのではないかと思っています。
 情報そのものの提供技術は、回線スピードやOSの起動時間などが重要な問題であるが、それらのユーザーの満足を得られるレベルに至るまでの課題は、概ねクリアされるイメージが出来ています。
 それに対して、これからのユーザーが日常的にデジタルコンテンツに馴染み親しめるかどうかは、液晶画面が、明るくかつ画面が光を反射せず、薄くても割れたり傷ついたりする危険の少ないもので自由なサイズのものの開発できるかどうかにその快適性如何はかかっているといえるでしょう。
 先の軽量化の問題、消費電力節約の問題を解決するためにも、このディスプレイの技術開発の動向が大きく左右するように見えます。
 この点を突き詰めて考えると、プロジェクターやメガネなどの面に投影する技術の方が合理的のようにも思えます。

 既にペーパーディスプレイなどの技術は開発されているので、遠くはない将来、部屋の壁一面をディスプレイにしてしまい、大画面映像を楽しむだけでなく、そのまま壁面をデジタル本棚の表示にしておき、必要なタイトルをクリックしてその場で表示できるような世界も考えられる。
 壁面ディスプレイなどできたら、それこそセカンドライフの世界などは、どっぷりはまることになってしまいそうだが・・・。

 また、現在のノートパソコンもほぼ1kg代の重量技術が普及しているので、本を手に持った感触に近い文字どおり本型のノートパソコン、表面もレザー、ジーンズ製のブックカバー触感仕様などが出来れば、より身近な存在になるだろうと思われる。

 

 情報そのものは、デジタルコンテンツであるかぎり限りなく無料に近づく時代であるだけに、その情報にアクセス、または保存する手段や方法は、その情報の使い手の事情により大きく異なるものです。

 たとえば取材・調査・論文などを書くために膨大な資料をあさっている人にとっては、机の上に開いてページが閉じたりしないように、背の厚い紙の本で読むより、簡単に必要部分をコピペできるディスプレイ上のデジタル情報の方がはるかに便利である場合が多い。

 いや、紙の触感、紙の保存性などの問題も、おそらくデジタル技術の領域でも次々に解決されていくことと思います。

 では、紙の本の残る可能性がどんどんなくなってしまうではないか、ということになってしまいますが、現状の半分程度まで減少していくことは間違いないとしても、そこから先、無くなることは決してないはずです。
 
 であるからこそなおさら、本は「情報パッケージ」としての性格の進化がこれから求められているのではないかと思うのです。

 情報をどのようなかたちで入手、保存したいかという面で選択肢はこれから更に広がり、そのひとつの姿として本が期待に応えられるように進化していかなければならない。かといって、デザインに凝った高級品になってしまっては、時代の逆戻りになってしまう。

 でもこの本が高級品になるという道も悪くは無い。

よって、 
圧倒的多数の本屋の未来は暗いものである、という結論しか出てこない話ですが、
私はこんな次の社会が現実になる日を考えていると楽しくてしかたがない。
すみません。