~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

溶けていく本屋

私たちの業界紙新文化」という新聞に、長野の平安堂の平野会長のアメリカ流通業界視察後の業界に対する意見がトップページに出ていました。

その見出しは「業種破壊で本屋は"溶ける”」。

今、私のまわりでなにかにつけて話題になっている本
ウェブ時代をゆく -いかに働き、いかに学ぶか』
と多くの点でリンクする問題にふれており、厳しい現実を伝えるものではありますが、
とても共感できる内容のものでした。

他方、この梅田望夫氏の前著『ウェブ進化論』を読まれた方も多いのではないでしょうか。
前作に続く本書、『ウェブ時代をゆくちくま新書  
これは書店や出版の未来を語るうえでは、前作以上に大事な必読文献であると思えるので、
書評としてではなく、平野会長の視点との関連でここに書かせていただきます。

以前に「10年後の準備をしよう」とのトピ立てを同業者のコミュでしたのですが、
その時は電子辞書の問題に話が流れてしまったので、今回改めて
「ウェブ時代」という視点から、10年後の準備について
改めて問いかけてみたいと思い、コミュに以下のようなことを再度書き込みました。


1995年頃をピークにして、この10年ほどの間に
書籍・雑誌の市場規模は約20%減少している。
週刊誌にいたっては、約37%のダウンである。

にもかかわらず、世の中は300坪から1000坪といった超大型店の出店が相次ぐ。

これからの10年を考えたとき、
地デジの普及などとともにデジタル通信環境が一層加速浸透し、
これまでパソコンキーボードか携帯に依存していたネット接続環境が
劇的にいつでも誰でもアクセス可能な環境に移行していくことは間違いない。

とすれば、これまでの10年間以上に、これからの10年間は
リアルのペーパー市場がさらに加速して縮小していくことは間違いないといえる。

長期的視野にたっても、紙の市場が完全に消えてなくなることは絶対に無いにしても
10年後には、1995年ころのピーク時の半分程度にまで市場が縮小することは 、
決して誇張した話ではないと思います。
東京説明会の交流会の場で、このことを話したら、
出版社の方からそれほどは減らないとの意見が出ましたが、
作る側はネット流通とリアル流通に分散されるだけ(現実はそれでも縮小傾向に変わりはない)なので、それほど減るという実感はないかもしれないが、リアル流通の側からしたらこの流れは間違いない。

いや、この流れがさらに加速することを裏付けるような話が、
本書にはたくさん出てきます。
その象徴がグーグルとアマゾンのゆくえです。


150ページからの見出し
十年後には「人類の過去の叡智」に誰もが自由にアクセスできる

グーグルはウェブ上の検索エンジンを作るために、発見したウェブサイトの情報をすべて自社のコンピュータ・システムにコピーする作業を続けている。そうしないときちんと索引付けができず検索エンジンが作れないからだ。
同じように、過去に出版された「人類の過去の叡智」たるすべての本をコピーし、巨大な書籍検索エンジンを作ろうとしている。

 書籍検索エンジンがウェブ上の検索エンジンと大きく違う点が二つある。
ひとつは情報をコピーする手間とコストの問題である。
ウェブ上の検索エンジンが対象とするサイトは、発見した時点で既に電子化されているので瞬時にコピーして自動的に取り込める。
しかし本は物理的に1ページ1ページ、スキャナーで読み込まなければならないので莫大な手間とコストがかかる。
もうひとつの違いは、ウェブ上の検索エンジンがもっとネット上でオープンにされた情報をコピーするのに対して、書籍検索エンジンの対象は著作権者が存在する本なので、権利の問題が複雑だということである。

             (ここまで引用)

でも現実は、グーグルもアマゾンも、
いかに手間とコストがかかろうがこれはやりきることだけを考えている。
これからのネット社会のインフラ整備として避けて通れないことだからである。
このような現実をふまえたら
以前書いた次のようなことが再び思い起こされる。



情報の値段は本来タダ!(無料)

コレを言うと庫本さんが怒る。
なんでも情報がタダで簡単に手に入ると甘えたヤツがいるから。

現状では情報化社会、知識社会という名目から
情報こそ飯のタネとしている実体は大きい。

しかし、私は、原則論から言えば
「情報の値段は本来タダ」であると昔から思っている。
情報というものは、それを独占したり秘匿したりすることによってのみ
お金がとれるものであるからだ。

さらにいえば、
私たちが日常、情報として扱っている書籍や雑誌の価格の大半は、
情報そのものの価値に対して払っているものではなく、
そのほとんどが、印刷、製本、物流といった領域のコストで、
残りの砦、著作権料といえども、その実体は
情報の価値ではなく、作家の労働の量、通常は原稿用紙何枚、といった
超売れっ子作家以外は、単純な作業量の対価程度しか払われていない。

この本質と実体を、今のネット社会が次々に暴き出していく。
有料書籍・雑誌が販売されている隣りで、次々と無料のコンテンツが出回るようになっていくからです。

情報化社会で著作権を守ることがいかに大事か、
これはもっともらしい議論のようですが、
今の世の中で現実に著作権の問題を声高に叫んでいるのは、そのほとんどはベストセラー作家たちです。
彼らは、ひとつの情報が何人に買ってもらえるかこそ大事な生命線だからです。

それに対して圧倒的多数の数千部以上売れることのない無名に近い作家たちは、
常にタダでも良いからより多くの人に読んでもらいたい、と思っている。
それらの人たちは、これまで、高額な自費出版というリスクを背負ってか、
あるいは自分を認知してくれる出版社が現れるまで、長い下住み生活を余儀なくされるのがあたりまえの世界でした。

ところが、今では、ほとんど無料に近いかたちで、その気さえあれば、
誰もが自らのブログやホームページ上で自分が社会に認知されるまで
いくらでも書き続けることができるのです。

情報という本質が見えてくると、
それはハードに制約されることなく、世界中どこにでも無料で飛び回ることができるものなのです。

私たち本屋は、これまでこのハードの制約に支えられることで商売を続けることが出来たのですが、今、それが通用しない時代に入ろうとしているのです。


では、本屋はみんなもうやっていけない時代になるのか?
そんなことはないと思っています。

これからの時代、膨大な在庫をかかえた大型店こそ厳しい時代になるのであって、
店売り比率の小さい中小書店こそ、
そして地域情報管理能力のある書店こそ、
これからのほんとうの情報化社会に生き残っていく条件があるのだと思います。

ただし、当然それは、これまでの紙の情報を売るというだけの姿ではありません。

そんなウェブ時代を象徴するひとつの事例として、
梅田氏は本書のなかでつぎのようなことをあげています。


「好きを貫きながら飯が食える場所」

リアル世界とネット世界の境界領域の「新しい職業」として、
専門性や趣味の範囲で「好きを貫きながら飯が食える場所」が作られる未来を考えるとき、
「志向性の共同体」のリーダーがスモールビジネス・オーナーという姿がひとつのロールモデルとして描けるのではないかと思う。

 米「ニューヨーク・タイムズ」紙の「セックス、ドラッグ、そしてブログを更新すること」(2007年5月13日)という長文記事は、新時代のアーティストの「生計の立て方、スモールビジネスの在りよう」について、
ニューヨーク在住のジョナサン・コールトン(36歳)というミュージシャンを具体例に詳細に報告した。
コールトンのブログも参考にしつつ、彼が体現する「新しい職業」をひとつ観察してみることにしよう。


 コールトンの職業はプログラマーだった。
 しかし彼はフルタイムのミュージシャンとして生きたいという夢を持っていた。
 一念発起して2005年9月、彼は仕事を辞めて(妻の収入に最初は依存)、夢の実現に挑戦することにした。
 曲を週にひとつ必ず書いてレコーディングしてブログにアップすることにした
(無償で誰もがダウンロード可能、リスナーがお金を支払いたければそれも可能)。
 少しずつ口コミでトラフィックが増え、誘われて行なうライブにも以前より人が集まる手ごたえを感じた。
 コツコツと地道な活動を続けた結果、現在はブログの日々の訪問者3000人、人気の曲のダウンロードは累計50万、月収はコンスタントに3000ドルから5000ドルとなり、生計が立つようになった。


 コールトンは、メジャーのレーベルと契約してビッグヒットを放つタイプのミュージシャンを目指すのではなく、ネット上に「志向性の共同体」を形成し、ファンと一体になった親密な空間をマネジメントすることで生計を立てている。

 月収の内訳は、ダウンロード販売をCD販売(CD少量生産流通サービスを利用)でその70%。
ライブのチケット販売が18%。
その他がTシャツなどのオンライン販売。
つまり月収の大半は、無償でも手に入る曲にファンが自発的にお金を支払うことに依存している。

 どのようにして彼はそんな現在に至ったのか。
 毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、
ファン(特に若い世代)は、アーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである。

 以来、コールトンはファンから届くすべてのメールに返事を書き(1日平均100通)、
ブログを更新し、自らの日常を語り続け、作った曲をアップしていった。
 次第に、別の都市に住むグラフィックアーティストであるファンが無償で曲にイラストをつけてくれたり、ライブを録音しプロモーションビデオをユーチューブに上げてくれるファンが現われたり、地方の街でのライブを企画してくれるようになった。
(ライブに百人集まればコールトンの収入は1,000ドルになる)。
 もう少し稼ぐにはどうしたらいいだろうと問えば、さまざまなファンが色々なアドバイスをしてくれるようになった。
 コールトンは24時間ステージに立ってファンと接しているような充実感を抱きつつ、毎日何時間もネットに向かい、フルタイムのミュージシャンをして生きている。

        ここまでは梅田望夫著『ウェブ時代をゆくちくま新書(2007/11)より

このコールトンの成功事例に、
私は平安堂の平野会長が新文化紙面で言う“溶解する本屋”の先に見える未来像を感じます。

ああ、平野会長に会って話してきたい。