~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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死シテ屍 拾フ者ナシ

前回、忍者と修験道・山伏の仕事を同時にひとりの人間がこなしている例をあげましたが、また当初の予定とは違う流れに行きます。
毎度、無計画ですみません。

真田忍者がそれまでの通常の忍者よりも高い地位が認められていたことが、
池波正太郎の小説のなかだけの話ではなく、先の資料で忍者養成隊長が岩櫃城城代にまでなっていることから史実として立証されていますが、
だからといって、多くの忍者の地位が高かったとは決していえません。

低い身分ながらも、自らの技能を損得を抜きに、命まで賭けて供する集団。
かれらをそこまで使命に一途に駆り立てていたものはなんだったのだろうか。

そこにはなんらかの宗教的信念もあったかもしれない。
戦国時代の真田氏のように仕える主君に惚れ込んで忠誠を誓うものもあったことと思う。
自らの技能・技術に対する誇りから生まれる意識もあったことだろう。

しかし彼らは常にいかに手柄をたてても名を残すことはない
常に無名の「影」と呼ばれるような存在にしかすぎませんでした。

そうした彼らが、報酬のためでもなく、名声のためでもなく
自らの命すらも賭して職務を遂行した背景はなんだったのだろうか。
これまで
差別されたり貧しい立場におかれた人々の精神的支柱として広く普及していたのは、
浄土信仰、浄土真宗がよく引き合いにだされてきました。
(このことは、のちにふれます)

でもここで私は、あえて歴史的根拠はありませんが、
最もそれにふさわしい思想として
ビックコミックに連載されていた中国の「墨攻」が思い出されるのです。
原作は酒見賢一。『墨攻新潮文庫
2007年には森秀樹による漫画を原作に、中国で映画化もされました。

まさに趙の軍勢2万が攻めてこようと追い込まれた小国、梁は、謎の墨子教団に援軍を求める。しかし、そこに現れたのは革離という男、ただひとりであった。
その城に今、兵と呼べる者は千五百がやっと。
革離はいう。
「御心配には及びません。それだけいれば十分です」

てなことからはじまるのですが、
文庫原作もコミックも両方おすすめですよ。



墨子は賎民であったとされる。おそらくは工人階級の出で、思想家とならなかったら名職人として名を馳せたにちがいない。また墨とは刺青された者、つまり受刑者を意味するのではないかとも言う。どちらにしても、当時の身分制の最下位にいる。墨子が儒を学びながら、儒者と根本的に異なったのはこのあたりからきている。彼だからこそあらゆる階層に、「以て人を愛することを勧めざるべからず(人を愛することをすすめずにはいられないのだ)」ということができた。
 
                       酒見賢一


墨子墨家とは、
中国戦国時代に墨子によって興った思想家集団。
諸子百家のひとつ。
博愛主義(「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こる)を説き、その独特の博愛主義に基づいて、専守防衛に徹する。
その「非攻」の思想とは、当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。
ただし、防衛のための戦争は否定しない。
このため墨家は土木、冶金といった工学技術とすぐれた人間観察という二面より守城のための技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果をあげた。

また、儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であると排撃したことなどにもより、当時広く受け入れられることはないあまりの先進的思想だったためか、秦の中国統一後は歴史上から消えてしまった。

          (以上、ウィキペディア墨家」、「墨子」参照)

こうした概要を見ればみるほど、
私は、この墨家の思想が、真田一族とその忍者たちの姿にだぶって見えてしまうのです。


久しく、ビジネス中心の世界に生きていると、
どんなに崇高な理想があったとしても、それは
具体的な成果を金銭に換算できないようでは、
たとえそれがどれほど正しいことであっても
結局、自己満足にしか過ぎない、
といった見方にわたしたちは容易に反論することは出来ない。

しかし、今話題にしている忍者や
歴史上その多くは差別されてきた様々な無名の職人たちの
見事なその仕事ぶりをみると、
たとえ金銭に換算されなくても
歴然とした価値を燦然と輝かせている世界があることを
私たちに思い出させてくれます。

今流行の「品格」などといった言葉をつかうよりも、
こうした仕事、職務に徹する姿勢こそ
「カッコイイ」と感じる私たちの目指したい世界なのだけど。。。。