~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

そこにあるものを発見して表現する力

井上ひさしボローニャ紀行』についての第2回目。


ボローニャという都市はイタリア半島の付け根の部分の真ん中にあります。
北はアルプス山脈、南はアペニン山脈
そのふたつの山脈の間を西から東へ、アドリア海へとポー川が流れ込む。
そのポー川アペニン山脈の中間にボローニャはあります。

人口は確か38万人くらいだったか?
群馬でいえば、合併前の前橋市高崎市をあわせたくらいの都市ということだろうか。

そこにたくさんのミュゼオがあります。
ミュゼオとは美術館や博物館のことで、それが市内に37もあるという。
この他に、映画館が50!!!
劇場が41!!!
図書館が73!!!

そしてこれらの建物の多くは、使われなくなった煉瓦工場とかの古い建物を利用したものがほとんどであるといいます。
それらのなかのある産業博物館のこと。

「ここの展示のほとんどが動きます。これがわたしたちの博物館の第二の原則。その展示物の前には必ず赤いボタンが備えてあるんですが・・・」
そのとき井上ひさしは「『シルクの都市』時代のボローニャ市街」という表示の展示物の前にいました。
15、16世紀ころのボローニャ市街の惚れ惚れするほど精密精巧につくられたミニチュア模型でまるで500m上空の気球から見下ろしたような光景。

「赤いボタンを押してみてください」
と館長に言われてボタンを押すと、軽い機会音とともに街全体が上にあがっていき、その下から街の地下一階の模型がゆっくりせり上がってくる。
そのころ、たいていの家の地下には紡績機がありました。
つまり、地下一階が小さな紡績工場になっていたのです。

「ボタンを、もう一度、どうぞ」
すると、またもや街全体の地下一階が持ち上がって、その下から地下二階のミニチュア模型がせり上がってくる。
地下二階は運河の網の目模様。
遠くのレノ川上流から導かれてきた青い水が、街の下を右へ左へと経巡りながら建物の地下を通り抜け、やがてレノ川へ流れ込む様子が手にとるようにわかる。

「レノ川の水を導いて得た動力のおかげで、ここは世界一の絹の産地になりました。そしてボローニャの絹は船でヴェネツィアに運ばれ、全ヨーロッパへ輸出されたのです。」


なんか同じ絹の産地である群馬の桐生や富岡のことが思い浮かんできます。

ながい引用(一部勝手にいじってます)をしましたが、このエピソードだけから
わたしにはたくさんのものが見えてきます。

ここでは、ひとつの歴史を語り伝えるということを、日本の行政主導の博物館などと違って、地元の学校などが協力して、実にいきいきと見せる、魅せるものになっています。
この見せるしくみというのは、私はただ知識を伝える作業というものとは少し違う気ようながします。
地域の歴史というのは、文献などをあたれば、どこもそれなりのことは書いてあります。
ここに書いてあるのを読めばわかる、とでもいわんばかりに。

でも、本屋も似たようなものですが、
そこに書かれた内容のひとつのことがらの感動をいかに伝えるかということは、
どう表現するかということに最善の努力をしてこそ、
やっといくつかが人に伝えることが出来るものだと思います。

そしてそのプロセスこそは、圧倒的な部分は、純粋知識であることよりも、
職人的作業の積み重ねである場合が多いのです。

このボローニャのどこを見ても超一級といわれるミュゼオの数々は、
単に企画が良いからだとか、
街そのものに伝統があるから、
といったことで成り立っているものではないのだと思います。

それは、このミニチュア模型を地元の学校が作りあげるような地盤があってこそのものであり、
決して専門業者に外注して成功するようなことはない構造がここにはあります。

この大事なプロセスのことを理解しないで、ボローニャへ視察に行って真似をしても、また仮に同じものが作れても、リピーターがやってくることはないでしょう。

イタリアがドイツとともに職人文化のある国として知られていますが、
似たような職人文化と技術立国を誇る日本が、これから守り育てていかなければならないことを、自分の街レベルで考えるうえでのとても貴重な視点を見せてくれていると思います。

本来は、この模型のことから、ボローニャの産業構造のことを書く予定だったのですが、
長くなったのでまた次回。