~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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『二荒』から『日光』へ甦った立松和平作品

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以前、このブログで紹介した立松和平『二荒』が絶版になり、問題の部分を削除したものが再販されるのかどうか、立松さんにとって大事な作品であると思われるだけに、先行きを不安な思いで見守っていたところ、勉誠出版さんから、ご丁寧な抜本的改稿による新刊が出される旨のご案内をいただきました。

立松和平『日光』
勉誠出版 定価 本体1,800円+税

『二荒』が今どきめずらしい箱入りの本であったことに並々ならぬ力の入れようを感じましたが、あらためて出された本書は、本来は新潮社がやりそうなとても美しい装丁の本に仕上がっていました。

12月に刊行されたのですが、私はなかなか読めないまま、机の上に積み重ねられた本の間に埋もれていました。
このたびようやく読むことが出来たのですが、ほんとうに前作の訂正ではなく、抜本的改稿であることを知りました。
版元さんには申しわけないかもしれませんが、私にとってはつくづく、ふたつの本を手にすることが出来て良かったと思います。

文芸評論家・筑波大学教授の黒古一夫さんが、

「『日光』は、極限の「生」とは何か、「死」と隣り合わせた「生」はどのようにあるべきか、またそのような状況下で人間はいかなる心で現実を超えようとするのかといった根源的な問いに、昨今は珍しい「純愛」物語を加えて成った作品である。
物語の時間が過去と現在を行き来する旧作『二荒』での構成から、『日光』では自然な流れとなるよう各章が再構成され、作者からのメッセージもより鮮明になり、全く印象の異なる佳品となった。」

と書いていますが、ほんとうに作品としては、前作とは別物になっていました。


この物語の流れが、過去と現在を行き来する旧作に対して、時間軸に忠実な構成でわかりやすくなったこと、このことは私には、わかりやすさで確実な前進はしたものの小説としての出来を見ると、半歩下がってしまったような気もしました。

前作を私は、時々睡魔が襲う朝風呂の中で読んだのですが、冒頭の主人公が、地元の人間であることを過信して、体調を壊しながらやっとの思いで下山している途中で出会ったうずくまる高齢の女性が持っていた明かりに救われた話が、小説全体のライトモチーフとして実によく生きていた効果が消えてしまったことが惜しくてなりません。

たしかにわたしは時々居眠りをしながら読んだこともあり、前作がどこから時代が変わったのか把握できないまま読み進んでしまったことを思えば、今回の『日光』は、まったくそのような心配のない明解な作品になっています。

それでもこうした昔物語ほど幽玄うつつのなかで、あれはいったいどういうことだったのだろうかと半信半疑で記憶に残ることのほうが良い小説のような気もします。

いづれにしても、こうして二つの構成の作品を読むことが出来たこと、こんな体験は滅多に出来ないので、わたしにとっては大事な財産になると思います。



それから、創作部分の勝手な引用と指摘された部分ですが、私が想像していた部分はそのまま出ていたので、どこが盗作であったのかは、わたしは未だにわかっていません。
二冊を並べて読むほどのことをする気にはとてもなれないので・・・

前回、書いたことの繰り返しになりますが、立松和平さんが弁解できる立場にないことは当然ですが、問題を論評しているほとんどの人が、原作なり、問題になった元の文章を読むなりのことをまったくしないまま、断罪していることには、もう少し批評ということを真摯にとらえてもらいたいと思わずにはいられません。

立松さんを弁護する意味ではなくて、歴史題材に依拠した作品のオリジナリティーの判断は、決して簡単なことではないということをもう少しわかっていただきたいものだと感じるのです。


本書は本屋として、もっともっとたくさん売りたい本なのですが、栃木と群馬の違いというだけで、市場規模の差がどうしても出てしまう気はします。

残念ながら私が声をかけたお客さんに買ってもらっただけで、まだ不特定の人から買っていただいたことがありません。それでも初回仕入れ分は売り切り追加注文は出せたので、これから頑張ります。

この大事な本を甦らせてくれた勉誠出版さん、
ほんとうにありがとうございました。
ご案内を頂きましたこと、この場をかりてお礼申し上げます。