~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

私の手作り「しおり」 その1

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私が作っている栞のことを書かないのかと知人に言われたので、書いて見ることにしました。
この栞のことは、話し出したら何時間でも語れる内容があるので、
いつか要点をまとめる必要があると感じてました。

この「手作り栞」を作り始めてたのは、もう2年ほど前にまで遡ります。

伊香保の地名を詠んだ万葉東歌が九種もあることを知り、なんとか、このことを地元の人たちにもっと知ってもらおうと栞形式でつくり始めたのがそもそもでした。

最初はピンクや青、グリーンの上質紙にリボンをつけて、
最もわかりやすい歌である
伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾が恋のみし時なかりけり」
の一首だけをつくりました。

ちょうど作成して間もなく、正林堂の新装開店の時期になったので、
裏に12月12日新装開店の案内文字を入れて配りはじめました。

このとき量産作業に入りだしたころから、この栞の持つ価値について、
いろいろと考えて改良を重ねるようになりました。

まず第一に重要だと思ったことは、栞というものが、書店にとってきわめて有効な営業宣伝ツールであるということです。

本屋の持っている宣伝ツールとしては、栞の他にブックカバー、手提げ袋、看板、ホームページなどがありますが、そのなかでも、ブックカバーと栞は最も頻度高く、店の印象をお客さん(読者)にもってもらえる性格のものです。

これまでブックカバーは、そうした価値を広く認められ様々なアピールのためのデザイン工夫がされてきましたが、それに比べると意外と栞は、どうもこれといったものがありません。

本来は、本を開き、閉じるたびに、手にとって挟みなおす栞こそ、喜ばれるデザインや機能のものであれば、末永く喜んで使ってもらえる性格のものであると思うのです。

これは、きちんとした喜ばれるものをつくれば、コストをかける価値が十分あると思いました。


第二は、それほど大事な需要のある栞であるにもかかわらず、これまで、納得のいく機能、デザインを兼ね備えたものがほとんど見当たらないということがありました。

栞とは、文字どうり読書をしているときに読み手をストレスなくサポートしてくれるものでなければなりません。
にもかかわらず、多くの栞は、紙が厚すぎたりして、本を読んでいるときにその厚さからページを押し上げてしまうことが多いのです。
使用する紙は、厚すぎてもいけない。
また薄すぎてもいけない。

さらに時々おしゃれのためにリボン、ひものたぐいが穴を通してつけられていることがあるのですが、これもせっかく手間をかけていながら、ただの紐では、位置を示す機能として本の間から出ることがなかなかできず、その多くは本の間に垂れてしまってその役割を果たしていないものが多いのです。

リボン紐は、ピンと自立した硬さがないと位置をすばやく確認する役割ははたさないのです。


第三に、しおりというデザイン面が広告表示などの文字印刷面として、きわめて注目度の高い性格を持っているということです。

これは、読書のおりにたびたび見る機会があるということから、短期的な宣伝の内容物ではなく、時が経っても衰えることのない内容の表現物の方が価値を増すと思われます。

岩波文庫のしおりなどは、本の装丁の基礎知識や、故事の所以などのマメ知識が書いてありますが、そうしたマメ知識が、店や地域固有の内容であれば、より一層価値が増すことと思います。
そうした活用をしているしおりもあまりお目にかかったことがありません。

私の手作り栞は、こうした性格を加味して改良を重ねて作ってきたもので、
紙質もはじめのころのただの色付上質紙に比べると、随分高価な紙を使うようになってきました。それでも、やはり紙質を上げた方が反応が各段に良くなり、末永く大事に使ってもらえるような気がします。


このようにして、現在の栞のスタイルが決まってきたのですが、この作成はリボンがあるばかりに、とても手間のかかるものになってしまっています。
このことには、まわりでも賛否両論、否、否定的な見方の方が多いかもしれません。

そんなコストと手間をかける価値がほんとうにあるの?
どこかに印刷を頼んで、一度に大量につくったほうが安く、効率もいいんじゃないの?

こんな声がよく聞かれます。

しかし、私はその方法はまだとりません。
現実にリボンをつける作業がどうしても手作業になってしまう分、外注に出してもそれほど安くはできないのと、今の栞の内容が万葉東歌ということから、渡して喜んでくれるひとは、そう無制限にたくさんいるものではなく、ごく限られた分野のひとなので、それほど一気に大量生産しなくても、店のレジ番をしているときや自宅でTVを見ているときなどに作業するだけで制作はおいついてしまうのです。

それでも、内部からは店長の高い人件費をかけてやる作業ではないでしょう、との声が出てきます。
確かに、レジのパートさんに時間のあるときはリボンつけなど手伝ってもらうこともあります。

しかし、これはただの作業として行っているものではなく、万葉東歌がこの地に集中している意味を多くのひとにわかってもらいたいという思いとともに作っている作業なので、万葉歌に興味関心のない人にただ作業を手伝ってもらっても、この手作り栞の価値は増さない気がします。

バカなことを言うと思うかもしれませんが、
人がそんな手のかかることやって何になるんだ、という作業を
私が5年、10年かけて5万枚、10万枚とつくり手渡す作業を通じてはじめて
一定の市民権を得た認知をされる文化になるのではないかと勝手に信じているのです。

まだまだ、話す長い内容があるので、
次回にこの栞のバラエティのことを書くことにします。