~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

本物の自然を再生すること

 最近相次いで、木を植える空間として山を確保することが、片品村や渋川で出来そうな話が立ち上がり、とてもうれしく思っています。
 しかし、ここで今「木を植える」ことの意義を考えたとき、もう少し説明が必要であることを感じました。

以下は、ある団体へ提起したレジュメのコピペです。


私たちが普段、自然を取り戻すことや自然に親しみ楽しむことを話題にするとき、
日本では、花いっぱい運動的な緑化、
外国の早く育つ木を植える緑化、
単層群落の芝生などによる緑化、
どれも同じように考えられています。

しかし、この「豊かな」自然にかこまれた群馬から発信する「木を植える」という活動は、
そのようなものとは一線を画するものであると考えます。
それは、単なる緑、緑化から、
命を守る、文化を守る、心のよりどころとしての多層群落の森や樹木を回復、修復、
再生するための緑環境の再生について本格的に考えようとするものです。


1、潜在自然植生のこと
  今、私たちが日常目にしている自然は、そのほとんどが長い人間社会の営みによって手を加えられ続  けてきた自然で、その土地本来の姿とはかけ離れたものです。

  それに対して潜在自然植生とは、その土地、その環境で千年、二千年と長い歴史のなかを生き抜いて きた最もその土地にふさわしい植生のことです。
  それは度重なる台風や地震、火災にも耐え抜いてきた植生のことで、
  日本で一般的には照葉樹林文化という言葉に表されるような
  常緑広葉樹、シイ、タブノキ、カシ類などの木のことです。

  これらの木は、スギやマツなどの本来やせた土地に生育する根が横に這うように伸びる樹種とは異な り、直根、深根が特徴で、大地に深く根を張り、大型台風などがきてもびくともしない大地をつくりま す。
  またその葉っぱは光沢のある厚い葉が特徴で、
  大火災などにあっても表面が赤く焦げる程度で、決してマツやスギの木のように
 燃えてしまうことはありません。
  東京大空襲焼夷弾の雨にさらされてもその森は生き残り、
  酒田市の大火災の折にも、「タブノキ1本、消防車一台」
 と言われるほどの力があることが証明されました。


2、場所を問わず、コストのかからない自然を再生すること

 「ホンモノの自然」を取り戻すということのもう一つの側面は、
 場所を選ばず、コストをかけず、誰でもできる、ということです。
 今私たちが求めている自然というのは、国立公園や自然公園を拡大することも大事ですが、
 そもそも人間という存在自体が大自然寄生虫ほどの存在に過ぎないことを考えれば、
 美しい自然を博物館のようなもののなかに閉じ込めるような保存の仕方で残すことではなく
(一部ではそれも緊急な課題ですが)、
 私たちの日常の身の回りの環境のなかに、
 圧倒的な量の本来の自然環境を取り戻すことが前提になっています。

 そのためには、私たちの日常生活空間のなかで、
 3mの幅の空き地でもあれば日本中どこでも「ホンモノの森」を再生することが可能であるような方法 であることが大事です。

 潜在自然植生に基づいた森は、苗を育てるまでの3年程度の間だけは、
 赤ん坊を育てるように人間の手をかけますが、
 それを過ぎたら、間伐や下草刈りなどの手間は一切かかりません。
 それは、自らの力でバランスを保ちながら生きるホンモノの森であるからです。


3、ホンモノの自然再生とは、お飾り観光「自然」から脱却し、
 暮らしと地域をささえるホンモノの自然を取り戻す運動であること。


  基本的には、多分人間社会もそうですが、
 その森のトップを占めている高木の種類によって、その森の姿、性格も変わります。
 高木の種類やあり方によって森のあり方が変わるということは、
 すなわち高木がその土地の潜在自然植生の許容する土地本来の森の主役になる樹種だからです。

 これは動物も含めた自然生態系として考えることがとても大事ですが、
 この生態系の頂点に位置する生物が消えると、その土地の生態系バランス全体が壊れ、
 様々な問題が併発してきます。
 この生態系の頂点に位置する動植物を見極め、多様な植物群を混種、密植することで、
相互が競い合い我慢し合い、豊かな自然がつくられます。
 それは決して潜在自然植生のタブノキだけの単一林をたくさん作れば良いといったようなものでもありません。

 自然でも人間でも、「病気になる」というのは、
本来の自然状態から離れた環境にあることで加速されるものです。

 この地で行われるグリーンツーリズム、自然体験学習などでも、
個々の自然を見るだけではなく、その地域に根ざした自然の生態系バランスの姿を通じて人間社会のあるべき姿も学びとるものでなければなりません。

 片品に、渋川に、「本物の自然」による不断の生命の再生産の営みがベースになった地域社会を育てたいものです。