~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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非定住民・賎民の文化

山伏の話をしてきて、それが鉱物資源の管理者の側面が強いということから、その運搬の主要手段を担う海洋民族との接点も強いことが想像されることに触れました。

こうした話になると常に、様々な非定住民とのかかわりが思い浮かんできます。
酔いどれさんがサンカのことを話題にしたのも偶然ではないと思います。

ここで話題になる山伏、サンカ、マタギやなどは
いづれも文献的な正史で語られてこない領域だけに、
被差別部落の問題との間で誤解や混同も起こりやすいだけでなく、
時代によっては、現に断定しがたい混合形態もたくさん存在するものと思われます。

西日本を中心に300を超える部落を訪れて古老からの聞き取りや資料調査を行った沖浦和光氏は、それらの実際の職能の領域を以下のように語ってます。

彼らは、産業技術の領域でもなくてはならぬ仕事を担ってきた。
優れた皮革加工技術によって、楽器・武具・衣装を作った。
農耕の必需品であった竹細工、井戸や池堀りや道普請などの土木、石切・石垣積みなどもやった。
鍛冶や鋳物師、石灰堀りや鉱石採取、染色、火薬製造、灯心つくりをやってきた部落もあった。
薬草を採り医療や獣医をやった部落民もいた。
山の保林や川の水番を仕事とした部落もあった。
狩猟や漁業、塩焼きや鵜飼いを専業とした部落民もいた。
庭師や植木職も、銀閣寺をはじめ室町期の名庭園にかかわった山水河原者・善阿弥以来の伝統を引き継ぐものであった。

        『天皇の国・賎民の国』河出文庫より

こうした職業の列記をみると、
職種の系譜こそあるものの、職業だけで被差別部落民やサンカと決め付けることに無理があることがよくわかります。

わたしは、こうしたことから
ホームページでとりあげているサンカやマタギ、真田忍者「草の者」などをとりあげるとき、それぞれをあまり専業職能集団とは限定せず、

田畑や山林などの土地所有を源資として食っていくことの出来ない
多能の人々

といったような意味で表現しています。

こうした意味でとらえると、
差別、被差別にかかわりなく、
土地所有から切り離された人々のなかに
文献的な正史では語られてこなかった、
もうひとつの正史の姿が脈々と流れているのを感じるのです。

しかしこの歴史も
中央権力の整備されるたびに
秀吉が海賊禁止令を出して瀬戸内の水軍を絶滅したように
徴税、徴兵などの法制が整備されるたびに
戸籍管理強化とともに新たな差別強化と排除の繰り返しをしてきた経緯があります。

ここに、制度を問わず、近代国家の成立と不可分の関係があるのですが、
先日の書き込みにも書きましたが、
このことが現代において
土地所有から切り離された新たな賎民の拡大の実態を想起させられることに私はいつも話しをつなげたいと思っています。



賃労働・サラリーマンという雇用形態が
分業化による生産性拡大といった表面の姿をとりながら
その実態は「働くことで生きる」という実態から「疎外」された
自己の能力の拡大よりも
参加することでしか自分の能力の発現機会を得られない立場となった
現代の賎民像、といったら失礼な表現になってしまいますが、
このことをあえて問題にし続けたいと思ってます。