~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

明治維新以来、百数十年の遠回り

しばらく思いつくままに話はアチコチに飛んですみません。

先の内山節さんの講演会で、修験道神道、仏教と混交した姿を本質とし、
明解にそれぞれを分離させることができなかったばかりに、
国家神道を中軸に新しい国つくりを目指す明治政府から徹底的に排斥されたといった旨の話がありましたが、修験道と同じように排斥されたものに
まず陰陽道があります。
そしてまた様々な民間信仰もその排斥の対象とされました。
陰陽道なんて、本来は天皇制と密接にからんだ信仰でもあるのに・・・)

ヨーロッパの合理精神を積極的に取り入れ近代国家の建設を目指した明治政府が、
非合理的と思われる信仰の世界を排斥した一方で
世界史に逆行した王政復古と国家神道を強化していったことは、
尊王攘夷の嵐吹き荒れる当時の社会状況の上とはいえ、
今から思えばアクロバット的政策判断であったとも思えます。
酷い政策だけど、その政策指導力には
ちょっと拍手喝さいしてあげてもいいような気さえする。

そして山伏や陰陽師とともに
民間信仰の領域で諸国を遍歴していた遊行者・遊芸民たちも
新政府の応じて各府県でも禁令が布告されました。

例えば群馬県では、
「一、乞食・非人。
 二、梓巫・市子、
 三、瞽女(ごぜ)
 四、辻浄瑠璃・祭文読之類」は
県内に立ち回った場合は
「順次管外へ放逐」する、と指達している
   (群馬県令、明治六年五月九日)

さらに加えていえば、
大道芸をやりながら啖呵売で「ガマのアブラ」などの薬を行っていた「香具師(やし)」も禁止されました。
彼らは「野巫薬師」だった。
香具師を名乗ることが出来なくなり、それからは「テキヤ」と呼ばれるようになった
(のだよ、寅さん)

と、書くと
明治政府ばかり酷かったように見えてしまいますが、
戦後「民主主義」下での反右派の流れのもとで失ったものもそれに劣らず大きい。
戦後民主主義下では、逆に国家神道儒教的なものの見かたとともに、宗教そのものが非科学的な人間の未熟な意識としてまでみられるようになってしまい、廃仏毀釈ほどの強行こそなかったものの人びとの宗教に対する色目はキツイものがありました。

私たちの日常的な民俗儀礼の多くは仏教に基づくものといえますが、
人生の大きい節目で行なわれる通過儀礼や季節の変わり目で催される民俗行事は、
その表層を剥いでみると、
意外に道教修験道陰陽道の濃い影がみられます。

それらの地域の風俗習慣は、信仰の側面を持っていたとはいえ、
それがまさに風俗や習慣であったことで、
様々な排斥圧力にもめげずに各地に残ることができたのですが、

これら百数十年の間に失われたものを
調査研究し、文化財的な保存を試みることは既にとても困難を極めています。

それでも最近では各地の郷土史家などの努力を通じて盛んにおこなわれるようになってきていますが、
これらのことがらが、地域社会でどのような積極的な役割持っているのかということについては、文化保存ロマンチズム以上の研究は意外とされてきていません。

今、ようやく注目されるようになったのは
それらの復活ではなく
それがどのような意味を持っていたのか、ということの問い返しです。

ずっとここへの書き込みが先送りになっている
内山さんの最新刊『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』は
そうした問いかけを主題にした本です。
この本では1965年を境にした変化に注目していますが、
明治維新以来、百数十年の間
「近代国家の建設」とともに、国家神道一元化や反神道、宗教へと揺れ続けながら
大事なものをずっと失い続けてきてしまいました。

この問題に、ずっと郷土史家の問題意識が歴史保存研究のレベルに止まってしまっているのは、
ここから先の「こころ」のありようの問題を話題にすることが、とても難しいからなのだと思います。

でも、この百数十年の遠回りをしてきた歴史を取り戻すことは、
とても大事なのです。
その作業を「かみつけの国 本のテーマ館」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/
はチビチビと重ねているつもりなのですが・・・
(今、ちょうど広告非表示の期限が切れて、更新手続きができず、余計な広告表示が入ってしまっているので、リンク紹介はツライ!)   

あれ?
明治維新にふれて、はじめは何を書こうとしたんだっけ?
なんかはじめ考えてたのと展開が違ったような。

ま、いいか。
また、つれづれに続けます。
遊行民、河原乞食、芸能の民の方へ行こうか、
雑技職能集団「忍び」「草の者」の方へ行こうか。
南方文化と海の民の方へ行こうか。