~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

赤城神社の創作能「淵名」の構想

つい最近になって、赤城山の大沼にある赤城神社は、火災にあって消失した赤城神社を後世になって今の場所に移転してつくられたものであることを知りました。

大沼に今ある赤城神社の反対側に、ほとんど廃墟を化した神社あとがあること、その鳥居の名残りは対岸からもかすかにみることができるらしい。

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移転にあたっては、旧赤城神社と今の小鳥ヶ島とでは祀る神が違うからと反対運動もおきていたようでしたが、結局、現在の小鳥ヶ島へ移転することとなりました。
赤城神社の跡地を歩いていた大工が、たまたま足元の石がぐらつくのに気づき、そこを掘ってみると石棺が出てきて、そこから鏡(ある記事では三種の神器、鏡と剣と勾玉がでてきたという)が出てきて、それらは今の赤城神社に展示されているらしい。


そんなことを知ったら、いてもたってもいられなくなり、早速、その旧赤城神社の跡地を見にいってきました。

すばらしい場所でした。

靄のたちこめる湖面をみていると、
 ふと、お能の幽玄の世界にそのまま引き込まれてしまいました。






(ワキ登場)

諸国を漫遊している旅の僧(覚満、または勝道上人でもよいか)が、疲れを癒そうと赤城の大沼の湖面から流れる涼風にあたっている。
旅僧がこの土地に伝わる伝説に思いをはせていると、どこからともなく女(前シテ)があらわれる。

女は、この土地に伝わる伝説を僧に語り聞かせる。

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 上野国に流されていた高野辺の大将家成には、3人の娘と1人の息子がいた。息子は母方の祖父を頼って、都へ上がり仕官していた。
大将の奥方が亡くなり、信濃から後妻を迎えた。その後、罪を許された大将は、上野国司に任命され、任地に向かった。継母は、3人の娘を疎ましく思って殺害を計画し、弟の更科次郎兼光をそそのかした。
兼光はまず、姉姫の淵名姫を、淵に沈めて殺してしまった。次女の赤城姫は、赤城山に逃げ込み、赤城沼の龍神に助けられ、その後を継いで、赤城大明神となった。末の伊香保姫は、伊香保太夫お居城に護られた。
事件を知った大将家成は慌てて戻り、淵名姫の亡くなった淵で姫と再会し、その後、嘆き悲しんで淵に入水してしまった。
都で出世していた息子は、軍勢を率いて上野国に戻り、兼光を殺し、継母らを捕らえた。しかし、血のつながりはないが仮にも一時は母であったという理由で、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放した。
信濃に戻った継母は、甥を頼るが、捨てられて死んでしまった。この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山だという。
事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に社を建てた。そして、大沼の湖畔で、神となって一羽の鴨の羽に乗った淵名姫、赤城大明神となった赤城姫と再会した。その鴨が大沼に留まり、島となったのが、現在の小鳥ヶ島だという。
その後、小沼の近くに社を建てて祀り、3日間滞在した。その地が三夜沢という。
(栗原 久 『なるほど赤城学』上毛新聞より)



話を終えると女は寒さしのぎに衣を一枚わけてくれぬかと僧に頼む。
僧は自らの衣を一枚、女にわけあたえる。

どこに住んでいるのかと聞くと、女はこのすぐ近くだとだけ言い、
その場から消える。

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疲れから、その場で再び眠りにはいった僧は、夢のなかで先ほどの女にふたたび出会う。

実は、われこそは、この地で亡くなった淵名姫であると。
今いる朽ち果てたこの社こそが、わたしたちふたり赤城姫と淵名姫の社である。

向こうに見える島にある赤城神社は、なんの縁もない後世につくられた社でものでは、われわれをともらうものではまったくないという。

旅僧よ、どうかこの朽ちた赤城神社をおまえの力で再興させてはくれないか。

といって女は消えていく。


げに誰か今日をしのばん群れゐつつ野辺の草葉の露のみにして

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世を経ても逢ふべかりけるちぎりこそ苔の下にも朽ちせざりけれ


旅僧は、ふと目が覚めると
朽ち果てた赤城神社境内の2本のケヤキの木の間に、先ほどの女に与えた衣がかかっている。

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心は真如のたまかづら、長き夢路は覚めにけり。






帆根川監督と一緒に、是非映像化してみたい幽玄の世界です。

それっぽい文句を手元の本
松岡心平『物語の舞台歩く 能 大和の世界』
から適当に散りばめてみました。

 
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