~ここから新しい世界に出会える~正林堂

渋川市の書店「正林堂」からお店の企画、本の紹介、地域の情報などを気ままに発信します。

内山 節のミニフェア

うっかり宣伝告知もせずに終わってしまうフェアのお知らせ。

今、正林堂で、哲学者、内山節のミニフェアをやってます。
・・・が、間もなく終了します。
「かみつけの国 本のテーマ館のなかでも
おそらく最も多くの場所で引用、紹介させてもらっている研究者ではないかと思います。

内山 節、
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page013.html
その最新刊「戦争という仕事」は、タイトルからちょっと誤解されそうですが、
これまでの内山節さんの労働観、社会観がとてもよく概観できる構成になったすばらしい本です。

ここにひとつだけ、そのなかの話を紹介します。
それは、内山節さんが群馬県の「新総合計画」である「二十一世紀プラン」の策定に加わったときのはなしです。

 「新総合計画」は、普通は五年に一度つくられる。ところが群馬県ではこのとき、百年計画を
つくることにした。短い時間幅で将来を考えるのではなく、遠い未来を見据えながら考えてみよ
う、という発想である。

 といっても、百年後は、かすんでしまうほど先のことではない。おおよそ、いま生まれた子や
孫が高齢者になる頃のこと、と考えればよい。

 面白かったのは、五年計画が百年計画に移行したとたん、基本的な発想が変わったことで
ある。五年計画だとどうしても「つくる」計画になる。今日なら高度情報化社会をつくるとか、先
端産業を育成する、高速交通網を整備しる、環境や弱者にやさしい風土をつくる、といったこと
である。ところが百年計画になると、「つくる」ことのほとんどが意味を失ってしまった。なぜな
ら、百年後に情報がどのようなかたちで伝達されているのかも、、主要な交通手段が何になっ
ているのかも誰にもわからないからである。そればかりか、情報という概念や、移動という概念
自体が変わってしまっているかもしれない。今日の先端産業など、百年後には本や映像でしか
みれないものになっているだろう。現在の発想で何かをつくってみても、おそらく百年後には意
味がなくなっている。このような議論をへて、「二十一世紀プラン」は、「つくる」計画から「残す」
計画へと変わった。百年後の人々が破綻なく暮らしていけるようにするには、何を残しておか
なければいけないかが計画の中心になたのである。

 自然とともに暮らす風土を残す。地域のコミュニティーを残す。暮らしをつくる手仕事を残
す。・・・・。もちろん「残す」ためには、再生しなければ残せないものもたくさんある。

                  内山 節 著 『戦争という仕事』信濃毎日新聞社より

先に数回にわたって紹介した「贈与」の話に通じるとても興味深い話ですね。