~ここから新しい世界に出会える~正林堂

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そうすることしか出来なかった現実

久しく重労働に追われてたため、
書きたいことがいろいろたまているので、
ちょっと徒然なるままに書き記しておきたい。

海の向こうのKさんが、今度インタビューの仕事をすることになたので、なにか参考になる本はないかとの日記があったが、見つけきらないままになってしまった。
昔、古書で買ったグループインタビューの手法を書いた本だが、どっかの棚押さえ用になてしまっているのかもしれない。

このことで思い出したのが、
『SHOAH』というまだ観ていないフランス映画のこと。
はっきりとした記憶がないので、検索で再確認してみた。

SHOAHは絶滅を意味するヘブライ語。1985年公開のフランス映画。制作・監督はクロード・ランズマン。映画は、ナチスドイツの絶滅収容所を奇跡的に生き延びたユダヤ人、加害者である元ナチスのメンバー、目撃者であるポーランド人たちによる証言だけで構成された、9時間を超えるドキュメンタリー。

なぜか断片は観た記憶があるが、どうして観たのかは覚えていない。9時間もある作品、いったいどうやって上映したのだろう。

きちんと観ていないものを語るのは失礼だが、ドキュメンタリー、インタビューの手法そのもので、当時多くのジャーナリスト達にも衝撃を与えていたような記憶がある。

この作品ののちに、私は吉村昭と出会って、
歴史の事実そのもののもつ重みというものを知る。

そこに共通している視点というのは、
後知恵で正しいかどうかを判断することではなく、
まず、そこに
「そうすることしかできなかった」人が存在していたということの事実の重みをしっかりとみるということです。

世の中の犯罪を断罪することは簡単ですが、
そこには常に
「そうすることしかできなかった現実」というものがある。

しかし、これを語ると現実擁護と受け取られかねなく、
事実、日航機事故などを語るときに私がこうした視点を入れると、被害者や遺族に対する冒涜だなどという非難を受けたこともある。

私は犯罪や諸悪も含めて
「存在するものはすべて現実的である」という立場でものを見ています。
どうしても誤解されるのですが、
これは犯罪や悪を決して擁護するものではありません。

歴史の事実というものは、
そのときの指導者や様々な当事者の資質だけでなく、
たまたまそのときの体調や天候などの外的要因なども含めて
様々な要因によってひとつの結果が起きているもの。

すぐれた企業や指導者たちは、こうしたあらゆる偶然とも思えるような要素も想定するからこそ、
慎重な万全な対策と努力を怠らない。
(私には真似のできない世界ですが)

過去の「そうすることしか出来なかった」現実を知っている人ほど、事実のあとに
「だからこそ」という言葉のもと
明日への具体的な決意が生まれてくるのだと思う。

それが見えない人ほど、
声高に世間や他者を非難し続け正義を振りかざして
他人を簡単に断罪する。

戦争犯罪を語るときも
企業の不祥事を語るときも
情けない公務員の姿を語るときでもみな同じ。

同じ問題の構図が
自分の、あなたの職場や地域で今もおきていて
自分の決意が日々問われているのだということを。

これは吉村昭の小説から学んだことですが、
ひとつのインタビューや取材に限らず、
日常のものをみる姿勢として
繰り返し繰り返し話題にしていきたい。

事実の擁護のためにではなく
明日への決意のために。

『SHOAH』
上映時間9時間以上!?
今こそ観たい!